【左】虎口東側の土塁。写真は東矢倉跡側から。
【真ん中】左の写真から進むと右へ。
【右】真ん中の写真を進んで、振り返って。
【左】上真ん中の写真を右折れに進んで…。
【右】天守から左の写真の所を見下ろして。
(重なる部分があるけれど、2枚でパノラマっぽく)上の写真のクランクの所を。
【左】石段が見られた(^^)
【右】天守内から。旧天守台上が少し見えた(^^)
岩国城は、江戸時代には珍しく、山上に築かれた近世城郭である。 この城郭は、毛利氏の一族、吉川広家が慶長8年(1603)に着工、 同13年に完成したが、元和元年(1615)一国一城令により破却された。 城郭の中心となる天守台は、古式穴太積みと呼ばれる石積みを基本としながらも、 戦国時代に、地方独自の石積みの技術が加わった形で造られた構造物である。 天守台の石垣は、大きめの石と、隙間に詰めた小さめの石からなり、 隅部の角石(すみいし)には算木積みの技法が見られる。 その隅部には、反りは無く、ほぼ直線上の稜線に仕上げられており、 見かけの美しさよりも構造力学上の安全性に重点を置いた造りになっている。 これにより、戦国武将吉川氏の石垣の力強さを、垣間見ることが出来る。(案内板より)
【左】旧天守台から本丸。
【真ん中&右】旧天守台(北側)&(西側)。
旧天守台横の土塁に、石がゴロゴロ。石垣が崩れたもの?
それにしても、整備中なのか、コーンがたくさん…。
【左】北の丸へ。写真右側に、大きな空堀がある。
【真ん中】北の丸。
【右】真ん中の写真の左部分から下を見ると、石がゴロゴロ転がっていた。
岩国城は、江戸時代初期に築かれた石垣造りの近世城郭である。 この時代に築城された城郭の多くは平城で、岩国城のように山頂に城郭を築き、防衛を主体とした空堀を築造したものは、 全国的に見ても極めて珍しい。この空堀は、幅約19.6m、深さ約10mと、日本最大の箱堀構造で、 明らかに敵の鉄砲による攻撃を意識して造られたものである。石垣は空堀の部分には築造されていない。(案内板より)
【左】左上の「北の丸へ」の写真右にある空堀。この写真では石橋が見えづらいな。
【右】石橋から。
【左&真ん中】本丸と北の丸の間の空堀の写真の奥にある石橋。
【右】本丸側から見ると石がゴロゴロ。