城内の鬼門(北東)に位置することから丑寅櫓とも呼ばれ、
江戸時代には武具蔵として使われていた建物。明治初年まで
残っていた事が古写真等でわかっており、発掘調査でも2度に
わたり建物を建築した痕跡(遺構)と、土地の平安を祈る為の
輪宝(地鎮具)が6点見つかった。今の建物は、この遺構や残っていた
絵図や史料等をもとに、江戸時代初期、寛文4年(1664)
の建築当初の姿で復元したもので、H16年に建築した。(案内板より)
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稲荷曲輪 |
硝煙蔵跡 |
稲荷櫓の壁について |
■硝煙蔵跡…
甲府城の火薬庫の建物がここにあったが地下構造で特別な防湿構造を
もっているのは、珍しい遺構。(案内板より)
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二重の石垣 |
武者走り |
庄城稲荷跡 |
石垣の解体調査をすると、その背後からも
石垣が現れ、積み直しをしている事がわかった。
(案内板より)
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左側に二重の石垣があった場所。
青空がきれい♪木がよく映える〜。
ちなみに、武者走りが正面と左横に。
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ここには築城以前から、一条小山の守護とも
言われている庄城稲荷があった。現在は移転して、
遊亀橋の東側にある。(案内板より)
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数奇屋櫓跡(別称=巽櫓) |
稲荷曲輪下の堀跡 |
高い石垣 |
城内で最も東側に建てられた櫓で、
明治初年までは残っていた事が古写真でわかっている。(案内板より)
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城の御殿があった屋形曲輪を囲む
堀があった。芝の部分が堀の位置。
(案内板より)
ここから見上げる稲荷櫓もいい感じ♪
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築城時の野面積み石垣で、高さは約17m。全国の中でも非常に高いもので、
当時の最先端の石積技術が導入された事がよくわかる。
(案内板より)
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