トロとまったり・tripのページ(柳川城 その5)

南三の丸・本丸北西付近から

【左】本丸北西付近から南三の丸。
【真ん中】柳川パーキングセンター(有料大駐車場)。
【右】本城町(松濤園口)信号。ここから御花 (松濤園)へ。

柳城1号橋(中堀)

【左】県道767号の「本城町」信号の西側の中堀に架かる橋。古絵図には、無いみたい…。
【右】(切り取り加工)海鼠壁や菖蒲の中の川下りや花火鑑賞の透かし彫り。きれい(^^)

【左】「柳城1号橋」。【真ん中】「城堀」。【右】南側から。

【左】柳城1号橋から北側。
【真ん中】柳城1号橋から南側。
【右】柳城1号橋の西側のバス停。左が川下り、右が「さげもん」。雛祭りに天井からさげられるものだそう。

安東橋

【左】柳城1号橋から北へ進んだ所の小さな橋。城跡には関係ないみたい。
【真ん中】中央に菖蒲が描かれていた(^^)
【右】安東橋から西側の水路を。

白秋道路&白秋通学路

この白秋道路は、白秋が生家から中学伝習館に通学したというところから名付けられたものである。 生家から伝習館まで13曲りの屈曲した道路が堀割沿いに走っているが、そのうち鬼童橋から藤平門(とへもん)橋までを白秋道路と呼んでいる。 「男女14歳にして道を同じうせず」が実践されていた当時、伝習館生の通学路だったこの道は、 柳河高女性にとって通学禁止路だったというエピソードも残っている。 この道路は、白秋の詩歌を生んだ路であり、現在も詩情豊かな遊歩道となっている。(説明板より)

【左】赤色が白秋道路。黒点が白秋通学路。
【真ん中】案内板と白秋通学路。そこまで、北原白秋に愛着はないけど…。
【右】白秋道路からの中堀。

【左】直進が白秋通学路(進んで行くと、オノ・ヨーコの祖父小野英二郎の屋敷跡)、白秋道路は堀沿いへ。
【真ん中&右】左の写真の所から西三の丸と中堀を。

白秋通学路&オノ・ヨーコの祖父小野英二郎の屋敷跡

オノ・ヨーコ(ビートルズのジョン・レノン夫人)さんの祖父・小野英二郎(1864〜1927)は、柳川藩士の末裔としてこの屋敷で誕生し、 中学伝習館を経て第4代日本興業銀行総裁を務めた銀行家。 その三男が東京銀行常務の小野英輔で、英輔の長女が「世界で一番有名な日本女性」といわれるオノ・ヨーコさん。 次女が現在パリを拠点に現代彫刻家として活躍する小野節子(元世界銀行本部長)さんである。 このほか小野家からは、元国連大使の加瀬俊一氏、その子息の外交評論家・加瀬英明氏、小野有五北海道大学教授など多彩な著名人を輩出している。 この屋敷跡は、江戸時代の「柳川藩御家中屋敷図」に小野平治の名前で記載されていて、幕末には小野平三郎が奥頭分で百石を拝領。 その後継の小野作十郎(英二郎の父)が柳川藩の御能方を務めていたことが「立花家分限帳」に記されている。(説明板より)

【左】白秋通学路を北東へ進んで。木々が生えている所がオノ・ヨーコの祖父小野英二郎の屋敷跡。
【真ん中】門だけ残されていたのだけど、どんな謂れのある門かと思ったら、まさかのオノ・ヨーコ関係とは!
【右】振り返って。写真右手前が屋敷跡。

【左】オノ・ヨーコの祖父小野英二郎の屋敷跡と白秋通学路。
【真ん中】屋敷跡の西側の水路。
【右】南側にも水路があった。

城西橋の西側 ・ 檀一雄文学碑付近

【左】白秋通学路から白秋道路へ合流。写真右側に、檀一雄文学碑がある。
【真ん中】檀一雄文学碑。
【右】城西橋方面。

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