トロとまったり・tripのページ(柳川城 その7)

八剣神社・柳川の碑

【左】県道770号沿いの八剣神社入口に立つ柳川の碑。
【真ん中&右】八剣神社。

辻町の道標

■辻町の道標…この道標は、元和6年(1620)宗茂公 元和復封時頃の設置と思われる。
右 出橋通り 左 瀬高門通り 柳川市内町名由来 付郷土史参照
なお、刻字からみて、元来は筋向いにあったものが、県道柳川−城島線の開通などにより移設されたものと思われる。 (柳川市教育委員会の説明板より)

【左&真ん中】県道702号と県道23号他の辻町信号の北東で、辻町の道標がある。
【右】県道702号と県道23号他の辻町信号の北西にあるコンビニから、辻町の道標(写真左側)方面。

辻門跡&札の辻

【左】県道702号と県道23号他の辻町信号を南下して、右側(西側)の伝習館高校前の辻門跡と辻門跡の碑。
【真ん中】辻門前の水堀。
【右】辻門橋歩道と札の辻(白い建物付近)。

城内橋

【左】写真は南下しているので、渡った先が門跡。
【真ん中】城内橋から東側の水堀。
【右】城内橋から西側の水堀。

高門橋

【左】(切り取り加工)北方面。堀手前が門跡だったよう。
【右】南下。高門橋を渡った先が門跡。

並倉(鶴味噌)と外堀

【左】西側から壇平橋方面。狭い道を車で進んだ(^^;)
【真ん中】壇平橋から外堀と並倉郡。
【右】(切り取り加工)レトロなレンガがいい感じ♪

外郭曲輪土塁跡

【左】左下の切り取り加工した写真の左側の建物の右側、土居横。

この土居(堤防)は、柳川城の東大手瀬高御門より眞勝寺土居の南に続く藤吉、 今古賀の土居として江戸時代には、柳川城惣曲輪の「外曲輪の土居」といわれた貴重な遺跡である。 曲輪とは、城の周囲に築いた土居やかこい、領域のことで、惣領分曲輪、城中惣曲輪、町惣曲輪、外郭曲輪などがある。 柳川城は、永禄年間(1558〜69)に、蒲池鑑盛(あきもり)によって築城され、惣曲輪は鶴の形をしていた。 慶長6年(1601)には、田中吉政が柳川城の天守閣を築き、四方に城掘りを巡らし、石塁を高くして城の防衛を強化した。 その後、元和6年(1620)11月27日、柳川城主に再任された立花宗茂および歴代藩主によって外郭曲輪も改良、整備された。 『柳川城沿革』によると、「瀬高御門北の際から北の角まで四二四間(763m)、鋤崎東の角北側から井出橋門東の際まで三五三間(635m)、 外郭曲輪土居の総合計七一六三間(12893m)、即ち三里十一町二十三間とす」とある。 こうして、明治4年7月14日の廃藩置県までの約400年間、柳川城外郭曲輪の土居は、西原一甫著『柳川名勝図絵』にあるような松並木の土居だった。 しかし、歴史の流れの中で、いつしか大部分はなくなり、この土居も変貌し、今は櫨(はぜ)・榎木の喬木(きょうぼく)や雑木が繁茂する土居となっている。 この藤吉・今古賀の土居は、柳川城の外郭曲輪の中でただ1ヶ所残っているもので、 かけがえのない貴重な文化遺産である。
土居の長さ
 土居丸堰(藤吉水取り)より今古賀番所まで約500m
 今古賀番所より今古賀橋まで約200m 平成9年3月 (三橋町教育委員会の案内板より)

【左】(切り取り加工)南から西へ進んで行くと、長く続く土居が見られた!
【右】分岐方面。横を通ると結構な高さを感じる。

【左】分岐付近から振り返って。結構な高さがある。
【真ん中】分岐付近から北から東(写真奥へ)へ流れる水堀を。
【右】真ん中の写真の北へ続く水堀を。

瀬高御門跡

【左】(切り取り加工)西から瀬高御門跡を。この道は旧三池街道でもある。写真右側の道路沿い(風浪神社前)に「瀬高門跡」の碑が立つ。 写真左側のミラーの所の路地を左折すると、柳川城堀水門跡へ。
【右】風浪神社前の「瀬高門跡」の碑。

柳川城堀水門跡

この水門は、城内に入る唯一の水門で、城の防禦用に築造された。 万一の場合はこの水門を閉め、上流の矢部川の堤防を切り崩して水を流すと、城内、柳河、宮永を残して周辺は水浸しとなり、 全く島のような状況になったと言われている。 このような壮大な水の仕掛けをもっていたことから、柳川城は水の城と呼ばれ、名城のひとつに数えられた。 水門の規模は、両壁の幅2.6m、長さ15.7m、高さ3.8mで、平均50cmの角石を積み重ねて造られている。 また基礎には幅20〜30cm、厚さ15cmの板が敷並べてあり、堰板つき石組水門である。 水門の右手には、俳壇の巨匠高浜虚子が柳川を訪れた際に詠んだ句 「ひろごれる春曙の水輪かな」を刻んだ句碑が建立されている。(説明板より)

【左】水門跡。
【右】水門橋。写真右奥に水門跡がある。

【左】瀬高御門跡の北側の路地を進んで水門跡へ。車で向かったら狭くてドキドキ(^^;)
【真ん中】「柳川城塞水門」の標柱と高浜虚子の句碑。
【右】水門橋から西側の堀。

西鉄柳川駅

【左】(切り取り加工)面白い形をした駅。夜だと余計に近代的(^^)
【右】付近の街灯。

柳川城 2015.12.28記

駐車場は多々あれど、時間帯(24hもあるみたい)と場所を考えて、柳川藩主立花邸 御花の北側のコインパーキングを利用した。 朝7時30分過ぎの見学開始で、まだ薄暗かったけど、観光客もいないしゆっくりと見学ができた(^^) ただ、逆光が多いのが難点だったけど(^^;)写す時点で真っ暗がザラだったし(感度を上げ下げするのが面倒で…。)。 本丸と二の丸の間の道は、部活動の生徒達がいるから、少しドキドキしながら歩いたけど、素敵な石垣と土塁が見られてよかった♪ 他にも徒歩や車移動で、見たかった部分を見学できたから、凄く満足(^^)来てみたかったから、歩くのが楽しかった。 ところで、柳川といえばウナギ♪前日に西鉄柳川駅付近で食べた。 そこで座敷に通されたのだけど、ふと足元を見ると、片方の靴下から親指が顔を出していた(@@;)恥ずかしかった…。 でも、ウナギは凄く美味しかった〜(^^) ちなみに見学時間は、おおまかにだと、柳川藩主立花邸 御花(外観のみ)+付近、西三の丸付近の門跡、本丸、二の丸(+黒門跡)を見学後、 柳川藩主立花邸 御花の北側のコインパーキングへ戻るまでを含めて、約1時間20分。 他は車で移動、車中からの撮影等で、約30分弱(西鉄柳川駅は含めず)。

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