【姫路城 その3】

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二の丸・いの門(外側&内側&二の丸)
今回は、西の丸〜はの門のコースで見学したけど、菱の門〜 二の丸方面へ向かう門が、い・ろ・はの順番なので、
ここでも分かりやすく、い・ろ・は…と続くように作ってみた(^^) 本当は、るの門を見た後、戻ったんだけどね(^^;)
二の丸・ろの門(外側&内側&奥の石垣)
いの門の次の門。西の丸からだと、乾曲輪へ行く途中、右へ行くとある。 右の写真は、はの門へ続く石垣。
乾曲輪・はの門へ 乾曲輪・はの門(外側&内側から)
さて、乾曲輪へ。
このアングル大好き〜(^^)〜♪
右端の柱の礎石は、灯籠の台石。他にも五輪塔など 使用している場所も。
こういうのは、あまり撮る気にならなくて…(^^;)
乾曲輪 乾曲輪・ロの櫓 乾曲輪からにの門櫓
1番右は、乾曲輪からにの門櫓を見たものだけど、木が邪魔…(^^;) 瓦の十字紋を撮るのに夢中で…(・・;)
にの門櫓(二層櫓)の唐破風屋根に乗っている鬼瓦には、 十字紋が彫られている。キリシタンの名残りとか魔よけとも 言われるが、日本の城では珍しい紋瓦である。 なお、この櫓の南面と東面の鬼瓦には、波しぶきが 彫ってある。これは火除けを祈ったものと思われる。 (案内板より)

十字紋に気をとられて、波しぶきを見てないなぁ〜(^^;)
にの門櫓の石垣。にの門方面へ。 にの門方面へ向かう途中で(2003.8.10撮影)
乾曲輪からにの門方面へ向かう道。乾曲輪・はの門へ向かう道も好きだったけど、こっちも素敵〜♪
途中右側の石垣 にの門(真ん中=2003.8.10撮影)
石垣の曲線が美しい〜♪ 門と隅櫓が結合したにの門。(真ん中=前回の写真の方を使用。)
ほの門 乾小天守&油壁 二櫓(右下)
ほの門の右上にある黒い壁が油壁。初めて来た時は、こっちからは気付かなかったなぁ(^^;)
油壁 水一門 水二門
■油壁…この塀は、城内の他のものと違っている。山土に豆砂利を加え、 もち米のとぎ汁とかお粥などで練り合わせた土を、 仮枠の中で叩き締めて築いたものである。この工法から見ると 池田輝政築城よりも前に築かれていたものと思われ、コンクリートの ように固く、400年以上を堪えてきた。 (案内板より)
 油壁の向こうには水一門。(写真右側が油壁)で、次に水二門。 水三門…と続くけど、今回は先に腰曲輪を見学。
腰曲輪 姥が石
天守の北側は、お城の腰の部分にあたるので、 腰曲輪という。ここに続く建物は、井戸があったり、 塩や米の倉庫になっていた。建物の外側は原生林の 断崖で、崖下には勢隠濠(内濠の一部)が取り巻いており、 南側に比べ、防備が薄いので、この腰曲輪を作り、 北方の抵抗線にしている。(案内板より) 羽柴秀吉が姫路城を築く時、石集めに苦労していた。 城下で餅を焼いて売っていた貧しいお婆さんが、 そのことを聞いて、使っていた石臼を寄付したので、 秀吉は喜んでこの石垣に使った。この評判はすぐ 町中に広まり、国中からたくさんの石が寄付され、 お城の建築は急速に進み、立派に完成したと 語り伝えられている。 (案内板より)  網のかかった白い石。
イの櫓&ロの渡櫓 ハ、ニの渡櫓(塩櫓) ホの櫓&への渡櫓
ここに続く多門は、本丸、天守の背面を固めると ともに、籠城に備えて塩・米などの食糧倉庫にしていた。 塩は、「ハ」「ニ」の渡櫓に貯蔵され、その量は 1300俵(1俵=54L)を貯えていたという記録もあり、 今でも土間や壁に塩分が浸み込んでいる。 この建物は、地形に沿って巧妙に建てられているので、 軒先が美しいカーブを描いている。 (案内板より)

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