【高遠城 その1】

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長野県 高遠城 ながのけん たかとおじょう
■高遠城
■高遠城址公園=無料(桜の時期=500円)
駐車場=無料(グランド駐車場)、有料も多々。
※桜の時期=グランド駐車場は有料(バス専?)。
有料以外、少し歩くが無料もある。(2009.4.12現在)
※ここでは、'05.9.18、'09.4.5、'09.4.12の写真使用。
住所=伊那市高遠町東高遠
(広域では中央自動車道 伊那I.Cを下りて、県道を通って、国道361号へ) 国道361号〜国道126号になって、郵便局を過ぎて、 橋を渡り、ぐ〜んとカーブになり、 左に、殿坂交差点を入り、すぐ左折して登る。(駐車場のみの案内図→)

高遠城
(左)渋滞中に写した、ピンク色に染まる高遠城。 右側には、薄っすらと南アルプスが♪ (右)城内で。(2009.4.12撮影)
この城は三峰川と藤沢川の合流する要害の地に、 天文16年(1547)武田信玄が、山本勘助等に命じて築かせた 平山城である。 構成は、本丸を中心として東に二の丸、三の丸、南に 南曲輪、法幢院曲輪、西は一段低く笹曲輪、勘助曲輪となっている。 これらは深い空堀によって隔てられ、 周囲には高い土塁が築かれ、石垣は殆ど使用されていない。 明治2年版籍奉還によって廃城となったが、 土塁など多少改変された所はあるが、 よく戦国的な城郭の構えをとどめている。 城主は武田氏、保科氏、鳥居氏、内藤氏等である。
また城内三の丸には藩学校進徳館の建物がある。当時の 規模そのままではないが、城内に残る藩校としては、 全国でも例の少ない貴重なものである。 城跡と進徳館をふくめ、昭和48年5月「史跡」に指定された。 (碑より)
(案内図をクリック→拡大)
ようこそ! 殿坂口
渋滞にはまりつつ写したもの(笑)
(2009.4.12撮影)
(真ん中)坂横の殿坂口の表示。  (右)殿坂とうちの車のお尻(笑)
  この坂を上がっていくと、大手門跡。  (2005.9.18撮影)
大手門跡
(左)2005.9.18では、ハイキングをしている途中っぽい家族が、 ここでお弁当を食べていたんだよね〜(^^)
築城当初、表門である大手は城の東に、裏門である搦手は 西に位置していた。ここが大手に変わったのは、幕藩体制の基盤が 揺るぎないものなってきた江戸時代の初期といわれていて、 正保年間(1644〜1648)に描かれた絵図では、城の西(現在地) に大手門が確認できる。 廃城後、この周辺の改変は著しく、往時の様子を窺い知ることが できないが、道路南東(右手奥)にある突き出した大きな石垣は、 大手桝形の一部と思われ、当時の石造構築物の姿を留める 貴重なものである。(案内板より)
 (左下)大手門跡から殿坂口方面。 (下2枚)ここからの素敵な眺め。 (桜=2009.4.12。他=2005.9.18撮影)
大手坂石垣
大手坂は高遠城の登城の為の道で、大手門(追手門) の西側に位置する。 戦国時代、武田氏が当地を治めていた頃、 大手口(正面入口) は城の東側にあった。当時、現在地周辺は城の搦手(裏口)にあたり、 城の背後を守る断崖だった。 江戸時代に入り安定した時代になると、城の西側段丘下に 新たな城下町が建設され、大手口も城の西側へ移された。 これに伴い、城と城下を結ぶ大手坂も新たに整備されたと 考えられる。高遠城跡内に現存する石垣のうち、江戸時代まで 遡るものは少なく、特にここの石垣は、絵図からも存在を 確認することができる大変貴重なものである。 (案内板より)   久しぶりに来ると、ちょっと変わってるもんだなぁ。 (2009.4.12撮影)
自分坂
この坂はその昔、この付近の侍達が、
登城のための近道として、自分達で
作った坂道なので、「殿坂」に対して
自分坂と名付けたという。今も城跡へ
の近道になっている。(標柱より)

花見の時期だけに、遠い駐車場へ、
とめさせられた。おかげで自分坂を
発見できた♪  (2009.4.12撮影)
勘助曲輪
高遠城は戦国時代、武田信玄の命により山本勘助が縄張(設計等) をしたと伝えられている。勘助曲輪の名称は、設計者の山本勘助に 由来するが、築城当初この曲輪は無く、大手口を東側から西側へ 移した際、新たに造成されたのではないかと言われている。 かつては、ここの駐車場の中央に堀があり、南側が勘助曲輪、 北側が武家屋敷となっていた。 曲輪周囲の堀は、戦後埋め立てられ、旧高遠高校グランドとして 使われた後、現在は駐車場となっている。 勘助曲輪の広さは769坪(2,542u)で、曲輪内には櫓や 祭事事務所、硝煙小屋、稲荷社等があった。 このうち、稲荷社は幕末に城下へ払い下げられ、勘助稲荷として、 相生町に祀られた。(案内板より)
 桜もバスも凄い!(左=2005.9.18、他=2009.4.12撮影)
グランドゲート 西ゲート
どちらも勘助曲輪にあって、グランドゲートが道路側、西ゲートが奥。 でも、お花見の時期の勘助曲輪は、バス専用。
(右)西ゲートから上がると笹曲輪で、太鼓櫓がいい感じに見えるのだ。   (2枚=2005.9.18、右=2009.1.12撮影)
犬走と第4駐車場
城の防備施設の1つであるが、この三の丸の東北側や 下方にある。 城壁や土塁の外側と堀との間に約1m位の幅の平らな道をめぐらした所を 「犬走」といった。攻撃してくる寄手(敵)の行動が鈍り、 敵の姿がここで露出するので防ぐのに役立ったのである。 この辺りから、搦手門跡付近まで、その形がおぼろげながら残っている。 (標柱より)
(左)北ゲートの反対側の第4駐車場付近の犬走。 (真ん中)犬走から大手門方面。(右)第4駐車場。('05.9.18撮影)
搦手門跡付近?の空堀
(左&真ん中)北ゲートより東へ向かうと、大きな空堀が (^^)搦手? (右)駐車場付近の桜♪(2009.4.12撮影)

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