トロとまったり・tripのページ(玖島城(大村城) その4)

玖島崎樹叢

この樹叢は、玖島城の本丸を取り囲むように茂る自然林で、城の東側の斜面から教育センターの手前まで広がっている。 樹叢の中には、クスノキ、シイノキ、ナナメノキ、ヤマモガシ、 ヤマモモ、バクチノキなど主に暖地性の樹木があり、また、大陸性のコバノチョウセンノキも見られる。 樹下には、クシマザサ、イワガネ、シロヤマシダ、ホウチャクソウ、ムサシアブミなど珍しい植物が生えている。 特に注目される事は、諫早が北限とされていたヒゼンマユミが樹叢内でいくつか発見されたことである。 玖島城には、江戸時代に既に大きな樹木があり、大村を来訪した文人の日記にも、 お城の建物が樹木で見えないというエピソードが出てくる。 廃城となった後、人の手が入らなかったため、林が自然の状態へと戻っていき、現在のような大木を含む樹叢になった。 この樹叢は、自然保護の上からも、学術的にも、極めて貴重なものであり、昭和49年の天然記念物に指定された。 現在も自然の状態で保護されている。(大村市教育委員会の案内板より)

いろは段への石垣

【左&真ん中】本丸北西のいろは段方面へ向かうと、石垣が♪
【右】左の写真の奥には、堀のような土塁が。

【左】いろは段側から。
【真ん中】ここまで上がると、正面に土塁が見える。
【右】その後、左折れで、+数段。

いろは段

里郭から北面の海岸へ通じる坂道で、47段あったので、いろは段といったと伝えられる。(大村市教育委員会の標柱より)

【左】下から。【右】左の写真の石段を上がった所。格好いいな〜。

【左】右上の写真の右側の石垣に危機が!
【真ん中】海は市営野球場に。
【右】昔のままの樹叢。

空堀(乾堀)

水のたまらない堀で、本城の守備を固くする為、設けられた。(横18m〜長さ200m)本丸西側。(大村市教育委員会の標柱より)

【左】浜田謹吾像の裏。
【真ん中】板敷櫓から西へ行くと空堀がよく見えた!満足っ♪
【右】本丸の西側。写真右側に空堀。

【左&右】途中から虎口門付近、土塁が迫出し、空堀は見えない。

二の丸

本丸の外側の城郭で、南屋敷に米蔵、武具蔵、東方に馬郭などがあった。(大村市教育委員会の標柱より)

【左】板敷櫓側。
【真ん中】少年鼓手・浜田謹吾像。裏に空堀がある。
【右】佐藤嘉平次少佐の碑。二の丸の標柱があった。

板敷櫓前の空堀

本丸西側の空堀(乾堀)がここまで続く!
【左】板敷櫓手前の空堀に、橋が架かる。
【真ん中&右】左の写真の左右。

板敷櫓

【右】板敷櫓内から眺めるこの石垣が、凄く格好よくて好き(^w^)

大手入口から海側に延びるひときわ高い石垣の中で、扇勾配の見事な曲線を描いて築かれたのが、この板敷櫓台である。 この上には二層の櫓が築かれていたものと思われる。 板敷櫓台とは、この辺りの地名を板敷と言うことからその名が付けられており、大村湾を望む展望の名所である。 玖島城は、慶長4年(1599)大村家第19代大村喜前(よしあき)により築城され、 慶長19年(1614)次の純頼(すみより)の時に城の大改修が行われた。 その時に大手門と板敷櫓台に延びる石垣が築かれた。 この大改修にあたっては肥後の城主で、城造りの名人といわれる加藤清正に意見を求めたという記録も残されている。 (大村市教育委員会の案内板より)

【左下】南堀と一緒に♪【右下】格好いい!

室内は凄くきれい。
【左】模型やパンフがあった。 【真ん中】石落し。
【右】手すりがあるので、上り下りしやすい。

板敷櫓内から。
【左】南堀跡。 【真ん中】南側。正面は高校?
【右】大村湾。真ん中の突き出した所が新蔵波止。

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