トロとまったり・tripのページ(臼杵城 その1)

大分県 臼杵城

おおいたけん うすきじょう

■臼杵城(別名=亀城)=見学自由
■臼杵公園
駐車場=近辺の有料駐車場

2011/5/1現在

住所=臼杵市臼杵
この時は、東九州自動車道 臼杵I.C付近の国道502号を北東へ進み、 土橋交差点信号で、案内板に従って、直進の県道33号へ。 中須賀橋東信号で県道33号へ右折。駐車場の案内に従って、 信号を右折。次に、1本目の信号を右折、左側の市営駐車場を利用した。 (この時は、2時間110円。その後30分50円)

臼杵城

臼杵城が中世城郭として利用され始めた年代は明確ではない。 これまでは記録類等から、大友宗麟によって永禄5・6年(1562・1563)に築城されたとする説が有力だった。 しかし、近年では弘治年間(1555〜1558)以前には、既に利用され始めていたのではないかとの説が有力になってきた。 中世城郭は、漆喰を多用し、塀や櫓、天守などを持つ近世城郭と違い、もっと実戦的な城郭だった。 臼杵城は、元々は臼杵湾に浮かぶ「丹生嶋(にゅうじま)」で、現在同様切り立った崖に囲まれた島だったが、 その防御性の高さから、城郭を築く土地として選択されたのではないだろうか。 大友氏改易後は、福原直高、太田一吉が臼杵城主となる。 太田氏は慶長2年(1597)の入部以後、「祇園洲」に石垣や櫓を設け、三の丸を造った。(稲葉家譜) 慶長5年(1600)の関ヶ原合戦後、稲葉氏が臼杵藩5万石余の主として、臼杵城に入り、 以後、明治維新まで臼杵藩は稲葉氏によって支配された。その後、明治新政府の廃城決定により、卯寅口門脇櫓、 畳櫓以外の建物はすべて破壊され、公園化された。(案内板より・絵図も)

大銀杏の木と大手門跡

【左】臼杵城から。写真右端が大銀杏で、道路を挟んだ左側が大手門跡。

この銀杏の木は、明治5年(1872)廃藩置県に伴い城郭を取り壊す時、 三の丸にあった大手門跡の位置を指し示す為の目印として植えられたもので、樹齢130年余りを経ている。 (NTT西日本電信電話株式会社の案内板より)

【右】大手門跡付近から(^^)それにしても、空の色が凄いなぁ…(^^;)

大手門公園

大手門公園は、古橋に向かって右側の亭櫓の横から畳櫓下にある。 この辺りは海だったそう(@@)
【左】畳櫓の絶壁の下が海だなんて、凄い!
【真ん中】上から。 【右】亭櫓前の(写真の)堀から正面に海が。

古橋

【左】大手門跡側から二の丸へ向かう登城口。橋を渡った所が、古橋門跡。その右側が亭櫓跡。正面が鐙坂。
【真ん中】上から。高さのある石垣が亭櫓跡で、低い石垣横が古橋門跡。
【右】古橋に向かって、左側に城址碑。

古橋から

【左】櫓風の建物はトイレ。
【真ん中】甲羅干し中のカメ。何を見ているんだろうなぁ(^^)
【右】カモもいた♪

古橋門跡

【左】古橋を渡って、古橋門跡へ。
【真ん中】古橋方面。礎石が見られる。写真奥の背の高い木が大銀杏で、道路を挟んだ反対側が大手門跡。
【右】古橋門跡の横の石垣。

【左&右】石垣に刻印の様なもの。ちょっと、写真では分かりづらい。

亭櫓跡

【左】亭櫓跡と臼杵公園の碑。
【真ん中】写真左側の堀の手前に、海水が迫っていたとは!
【右】亭櫓への石段。

鐙坂

【左】正面の岩壁下側に、入口を塞がれた防空壕の様なものが…。
【真ん中】左の写真の坂からすぐに左へ。
【右】その後、右折れに。岩壁に挟まれた狭い坂で、圧迫感がある! 右側の岩壁横から、畳櫓がよく見える♪

【左】鐙坂の途中から見た畳櫓♪格好いい〜♪
【真ん中】坂を上がり終えて、中門跡(正面)へ。
【右】上から。

中門跡

【左】鐙坂を進んで中門跡で、左折れで石段を上がると、右側に畳櫓で、帯曲輪(右の写真)へ。
【真ん中】礎石♪

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