トロとまったり・tripのページ(臼杵城 その5)

辻の大井戸

井戸周りは、ロータリーになっていて、説明板がバス停にある。 この辺りから、臼杵城の畳櫓や大門櫓が見える(^^)

「稲葉家譜」には、「古老の言によれば、大友氏の家臣であった辻井某がこの辺りに居住しており、辻井殿と呼ばれていた。 今、辻井戸というのは辻井殿がなまったものである」と記されている。 また江戸時代には、藩主が藩内を巡検する時に、家臣がこの辺りで見送りしたともいわれている。 この井戸は塩分を含まない上質の水が湧出するため、上水道が普及するまでは住民の生活用水はもとより、醸造用の仕込み水にも使用されていた。 臼杵の町は、古くよりこの井戸を中心に放射状に発達してきたといえるほど重要な位置を示す井戸である。(案内板より)

バス停
本町の石碑
八町大路

【左】コミュニティバスのフグ。ムニッとした口が気になる(^w^)
【右】中央通り商店街。活性化と再生を図るために、アーケードを撤去、個々の外装改修して、このような街並みになったのだとか!凄いなぁ(@@;)

旧後藤家長屋門

辻の大井戸から南側の路地に入るとすぐ。街灯も雰囲気がある(^^)

稲葉家土蔵 // 二王座歴史の道

【左&真ん中】稲葉家土蔵。
【左】土蔵の横が、旧稲葉家長屋門。なぜか、写していない…。
【真ん中】土蔵の中は休憩所になっている。
【右】二王座歴史の道の善正寺。二王座歴史の道は、まだまだ素敵な所があるらしい。 今回は、この辺りだけを見学(^^)

稲葉家下屋敷

当屋敷は、15代臼杵藩主稲葉久通(ひさみち)の長男・順通(まさみち)氏が廃藩置県後、帰郷した折の屋敷とする為、明治35年(1902)に建てたものである。 玄関に式台を設ける等、江戸時代における上級武家屋敷の様式をとどめた風格があり、重厚さを偲ばせる歴史的な建物である。 約1000坪の敷地の中に、5棟の建物が雁行型に廊下で結ばれている。 建物は全体的に数寄屋風に造られている。棟札によれば、明治35年(1902)に建立されたことがわかる。 厨房棟(2階建て)を除き、他の棟は平屋の桟瓦葺きである。 主屋は、桁行6間半、梁行4間の入母屋造りで、妻側(南側)に間口2間の式台付き玄関を備えている。 この住宅は、旧藩主の稲葉公が臼杵に里帰りした際の住居として、町の有志が建設したと言われている。(臼杵市・臼杵市教育委員会の案内板より)

【左】遠景。
【左下&下真ん中】稲葉家下屋敷前の堀には、鯉が泳ぐ。
【右下】入口にちょこんと赤猫石が(^^) 可愛いけど、赤猫?と思ったら、大分の県民性を表した言葉に、赤猫根性というものがあるそう。 その赤猫が近年見直されて、赤猫にちなんだお祭りをGWに開催するらしい。 その期間中、あちこちで赤猫石が置かれるということらしく、稲葉家下屋敷の入口にいたみたい(^^) ちなみに、赤猫石は三つの福(招福・商福・笑福)を招いてくれるそう。 この子の頭には「幸福」の字。御利益を貰うために、触っておけばよかったかな(^w^)

【左】入口の門。
【真ん中】立派な玄関♪
【右】門を振り返って。稲葉家の家紋「折敷に三文字」の幟が立つ。

【左】緑が素敵♪でも、手前の部屋を写してなかった(T_T)
【真ん中】畳廊下。明り取りがいい感じ。
【右】別の1階。

【左】狭くて急な階段。
【真ん中】2階。大きな臼杵城下絵図があり、現在と照らし合わせる事ができた♪
【右】天井。

臼杵城 2011.5.1記

想像していた以上に、石垣が残っていて凄く良かった! 刻印も見ることが出来るとは思っていなかったので、「ここにも!」と無邪気に楽しんだ♪ そして、二の丸と本丸との空堀!「こんな所に、こんな深い空堀が!?」なんてビックリ(@@)大満足の見学ができた。 でも、ここへ来る前に岡城へ行っているから、途中で足が痛くて、痛くて(^^;) めげずに、この後、城下町をぶらりと見学へ。 見所がたくさんあるけれど、この後の予定もあるので、何ヶ所かの見学だけ。 稲葉家下屋敷はリニューアル中で、見られない部分があるという事だったけれど、見学無料だったので、入ってみた(笑 )廊下が畳だったのには、ビックリ。赤猫石も可愛かったし、満足満足(^w^) ちなみに、城址の見学時間は、刻印を眺めたりと、ゆっくり見学したので、約1時間20分。城下町は、約25分。

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