トロとまったり・tripのページ(彦根城 その6)

太鼓門櫓

本丸への最後の関門である太鼓門櫓は、東側の壁が無く、柱の間に高欄をつけ廊下にしている。 登城合図用の太鼓の音を響かせる為に考えられたのではないかといわれている。 この櫓は、その昔彦根山にあった彦根寺の桜門ではないかといわれ、門の両柱にある釘後は、 当時、巡礼が札をかけた釘穴跡だともいわれた。しかし、昭和32年(1957)の解体修理によって、 この釘跡は移築前の建造物の痕跡である事が明らかになった。(案内板より)

【左】太鼓丸側から写真左側の石垣の間を上がって門へ。下の人と比較すると凄い高さ!(2006/4/30撮影)
【右】太鼓門櫓。(2003/12/28撮影)

【左】本丸側から。(2006/4/30撮影)
【右】本丸側から桝形を。(2006/4/30撮影)

【左】太鼓門櫓前(外側)の巨石。(2007/11/23撮影)
【真ん中】太鼓丸側からで、門奥に桝形が見える。(2006/4/30撮影)
【右】本丸側から。(2007/11/23撮影)

時報鐘

【2枚】2006/4/30撮影。

この鐘は、12代藩主井伊直亮の弘化元年(1844)に鋳造したもので、当初鐘の丸にあった鐘の音が、 城下の北の隅に届かなかったので現在地に移した。現在は午前6時、9時、正午、3時。6時と1日5回ついている。(案内板より)

太鼓丸

【左】天秤櫓側から太鼓丸。写真中央に見えるのが太鼓門櫓と本丸の石垣。ここからのアングルが好き(^^) (2006/4/30撮影)
【右】太鼓丸から天秤櫓を。(2007/11/23撮影)

【左】太鼓丸から太鼓門櫓へ。手前の石垣上方に太鼓門櫓がある。(2006/4/30撮影)
【右】太鼓丸から本丸の石垣を。凄い!しか言葉が出てこない(笑)(2006/4/30撮影)

天秤櫓

この櫓は、豊臣秀吉が創築した長浜城大手門を移築したといわれている。表門から坂を上がると、廊下橋(非常時には落とし橋となる)がある。 橋を中央として左右対称に建てられ、天秤の様な形から天秤櫓と呼ばれた。この形式は、日本の城郭で彦根城ただ1つ。 嘉永7年(1854)に中央部から西方の石垣を、足元から積み替えるほどの大修理があり、東半分の石垣が牛蒡積みであるのに比べ、西半分は落とし積みになっている。(案内板より)

鐘の丸側から廊下橋と天秤櫓を。面白い形だな〜(^^)
【左】(2006/4/30撮影) 【右】(2003/12/28撮影)

【左】廊下橋から左側。(2006/4/30撮影)
【右】廊下橋から右側。(2006/4/30撮影)

【左】太鼓丸から天秤櫓を。こちらからだと感動が薄れる(笑) (2006/4/30撮影)
【右】下から廊下橋と大堀切。右側が鐘の丸。(2006/4/30撮影)

鐘の丸

築城当時時報鐘をここに置いていた為、この様な名称となっている。鐘の音が城下北隅に達しないので、鐘を太鼓門櫓外(現在地)に移した。 この鐘の丸には、大広間御殿と御守殿の二つの建物があったが、大広間御殿は享保17年(1732)江戸屋敷の広間として移され、御守殿は明治のはじめまでここにあった。(案内板より)

【左】廊下橋の下側から鐘の丸へ。(2006/4/30撮影)
【真ん中】鐘の丸側から虎口を。(2006/4/30撮影)
【右】鐘の丸。(2006/4/30撮影)

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