トロとまったり・tripのページ(徳島城 その3)

武具櫓跡

下から見ると、月見櫓跡も武具櫓跡も櫓台があるように思えなくて、上に上がって、「ああ。あるんだぁ。」みたいな。
【左&右】武具櫓跡。【真ん中】下から。

大手門&下乗橋

■下乗橋(小見付橋)…城内の堀に架けられた木製の太鼓橋で、殿様の住む御殿への正面出入口にあたる。 この橋を渡ると、枡形が設けられ石垣や門によって、厳重に守られていた。 下乗橋の名前は、橋の前で駕籠などの乗物から降りて歩いて渡ったことから由来している。 明治2年(1869)花崗岩製になり、さらに同41年(1908)、現在のように水平の橋に改造された。(案内板より)

【左】大手門跡&下乗橋。
【右】下乗橋から桝形方面。

【左】大手門跡&下乗橋から三木曲輪方面。
【右】桝形から大手門方面。桝形の石垣の上で、おじさん達がお弁当を食べていてビックリ(^^;)

堀の住人達

堀に浮かぶ小屋が、風でユ〜ラユ〜ラ動く度に、休憩中の白鳥がギクギクするのが可愛いかった(^^)

太鼓櫓跡

【左】大手門から延びる石垣の端の三階建ての太鼓櫓跡。
【真ん中】その向こうの三木曲輪から太鼓櫓跡を見たもの。
【右】隅部。

三木曲輪

鷲の門がある三木曲輪。

鷲の門

鷲の門は、この徳島城の巽(南東の方向)に位置する表口見付の門で、その造りは脇戸付きの薬医門であった。 幕府に鷲を飼うからと申し立て、建造したところから鷲の門の名があると伝えられている。 廃藩置県の後、城郭の建造物は取り壊され、唯一残された鷲の門も、昭和20年(1945)7月4日、早暁の徳島大空襲によって焼失した。 現在の鷲の門は、平成元年(1989)9月27日、徳島市制百周年を記念して、吉井ツルエ氏(徳島市出身)より復元寄贈されたものである。 (徳島市の案内より)

【右】三木曲輪側から。

【右】ライトアップは、きれいだけど、ちょっと怖い(^^;)

【右】凄い気になる。空に向かってバンザーイ!

御殿跡

徳島城博物館が建っている場所は、表御殿跡だそう。中には入っていないけど、外観はとっても立派!

奥御殿辺りかな〜?なんて漠然と思いながら歩く…。 ペンギン発見!と近付くと、お題は「鳴門海峡」。ええっ!?

蜂須賀家政公銅像

蜂須賀家政公(藩祖)は、天正13年(1585)豊臣秀吉の四国平定の大功により阿波一国を賜り、 天正14年(1586)に一宮城から中世に築造された渭津城を修築して徳島城とし、藩政の中心地とした。 入国の後は、藍、塩などそれまで阿波になかった産業を取り入れ、新しく製塩・製藍工業を起こし、盛んに日本中に売り広めた。 また、全国でも有名な阿波踊りも家政公時代に始まったと伝えられる。 戦前は、野太刀と長槍を持った甲冑姿の蜂須賀小六正勝公(家祖)の銅像が立っていたが、戦時中に供出されてしまった。 それが昭和40年(1965)に裃姿の家政公の銅像に生まれ変わった。(徳島市公園緑地課の案内板より)

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