トロとまったり・tripのページ(徳島城 その4)

本丸がある山を見上げる
弁天池(庭園跡)
東坂口

【右】前日、デジカメのメモリーカードが壊れてしまった東二の丸跡がある東坂口から(^^;) また壊れやしないかヒヤヒヤ。

東二の丸門跡

【左】東二の丸門跡。
【右】左の写真の右側の東二の丸の石垣。荒々しさが格好いいな♪

東二の丸

東二の丸には三層の天守が設けられていた。 天守の一階は7間(約14m)四方と大きかったが、天守台はなかった。(案内板より)

東二の丸跡には先客の年配の方がいた。安心感を覚えつつ、でも、足は踏み入れず(笑) またデジカメのメモリーカードが壊れたら困るし(^^;) おかげか、デジカメ絶好調〜!
【左】東二の丸。左奥に天守跡の標柱も立っている。
【真ん中】天守跡。
【右】東二の丸門跡の左側の大きな石。

本丸の石垣

東二の丸の石垣も、本丸の石垣も格好いい!場所場所で積み方が違うから面白い(^^)
【左】本丸東門跡(真ん中の写真)へ向かうの手前の本丸の石垣。 写真奥の石垣は、石垣が崩落したのか、手前(石段半分)に石が積まれていた。
【右】本丸東門跡へ向かう手前の本丸の石垣。左の写真の側面。

本丸東門跡〜本丸

山城部分には、本丸・東二の丸・西二の丸・西三の丸が置かれていた。 本丸は標高約61mの城山頂上に置かれた曲輪で、山城部分の中では、最も面積が広く重要だった。 本丸には、中央に置かれた御座敷と城山の管理人であった御城山定番の詰めた御留守番所のほか、 弓櫓や東西の馬具櫓、武具櫓、火縄櫓が設けられていた。櫓は戦いの際には防御施設となるが、普段は武器を収めていた。 藩主は城山麓の御殿で暮らし、城山に登ることは稀だったが、この御座敷にも藩主専用の部屋があり、台所も設けられていた。 また本丸東部には置かれた鐘は城下町の火事の際に打ち鳴らされ、町人達の危急を救った。(案内板より)

【左】弓櫓跡。
【真ん中】眉山。本丸からの景色は、木が邪魔であまり見えないんだけど、眉山は見える(^^)大きいなぁ〜。
【右】本丸の櫓跡。

案内板が示す櫓跡を写したんだけど、馬具櫓、武具櫓、火縄櫓のどれだろうな〜(^^;)

本丸北の門跡(埋門跡)&下へ向かう道

説明板によると、北口には御座敷の建物で隠された非常時の脱出口(埋門)があると書かれていたので、 ここかな?

本丸西門跡

ここから下りて行くと、石垣に使われている多くの大きな石も気になるけど、転がっている細長い石も気になる(^^;) 昔、本丸には護国神社があったというから、その時に使われていたものを置いてるのかもしれないな。
【右】弓櫓跡。

弓櫓跡

【左】本丸西門跡から下りて見上げて。
【右】振り返って。素敵!!

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