トロとまったり・tripのページ(鳥取城 その2)

お堀端

土・日・祝日が無料駐車スペースになるお堀端。 2009/8月はここにとめた。街灯には蝶々の装飾が♪(2009/8/9撮影)

山の手通り
鳥取城跡 久松公園石碑
鳥取城跡附太閤ヶ平の石碑

北ノ御門跡

【左】左側に石碑がある。(2008/8/9撮影)
【真ん中】北ノ御門跡を入って左側。
【右】北ノ御門跡側の堀の石垣。

鳥取県立博物館 // 丸の内

【左&真ん中】鳥取県立博物館。さすがに学生が多かったなぁ。部活とか、課外授業とかかな。
【右】丸の内。こちらは県立鳥取西高校方面へ。

仁風閣(じんぷうかく)

この建物は、明治40年5月、時の皇太子殿下(のちの大正天皇)の山陰行啓に際し、 ご宿舎として、もと鳥取藩主池田仲博侯爵によって、扇御殿跡に建てられた。 設計は明治建築最高の傑作である赤坂離宮の設計家として有名な宮廷建築家片山東熊博士によるものと伝えられ、 工部大学校での片山東熊の後輩にあたる鳥取市出身の建築家橋本平蔵が補佐し、 地元の工匠浜田吉蔵が施工にあたったものであり、フレンチルネッサンス様式を基調とする木造二階建の本格的洋風建築で、 中国地方屈指の明治建築として著名である。櫛型ペディメントを主要なモチーフにした端正な正面の佇まいに、 屋上の棟飾りや階段室の八角尖頭屋根が変化を与え、背面1・2階吹抜けのベランダは、軽快で美しい構成を示している。 内部は、御座所・謁見所・御食堂の主要室をはじめとして、1・2階の各室とも室内装飾に意が払われ、 マントルピース(暖炉飾り)・カーテンボックス・シャンデリアなどの細部意匠にも見るべきものが多い。 殿下ご到着の当日に、鳥取県下で初めて電灯が灯される等明治の文明開化を華々しくうたいあげた記念建築でもある。 「仁風閣」の名は、行啓に随行した東郷平八郎元帥によって命名されたもので、その直筆の額は、2階ホールに現在も掲げられている。(案内板より)

宝隆院庭園

【右】仁風閣の裏側から三階櫓方面へ。

11代藩主池田慶栄の逝去により、若くして未亡人となった宝隆院を慰める為、文久3年(1863)12代藩主池田慶徳が造った回遊池泉式庭園。 久松山の自然を背景とした渓谷は美しく、鶴の形をした池には豪壮な亀島を浮かべ、地形の変化と幽玄な佇まいに江戸時代末期の造園の極致をよく伝えている。 扇御殿(現仁風閣位置)に住いした宝隆院が池をめぐり、春の桜、秋の紅葉をめでた往時が偲ばれてゆかしい。(鳥取市教育委員会の案内板より)

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