【江戸城 その3】

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(〜おおまかに〜 1&2&3.東御苑、  4.皇居・皇居外苑・他、  5&6.北の丸公園・他、 7.見附)

梅林坂から平川門の間
(左)平川門からだと、左に行くと下梅林門跡。 (真ん中&右)逆から。ここの石垣の▽が気に入った!うまい!
平川門
平川門は、竹橋門より侵入した敵を 撃退できるよう平川濠に伸びた細長い 城郭(帯曲輪)を持つのが特徴。 また城内で、罪人や死人が出るとこの門 から出されたので、不浄門とも呼ばれた。 (菊葉文化協会の案内板より)
(左&真ん中)平川橋&平川門。桜の時期なのに、嘘みたいに 静か。 (右)平川橋から左側の大手濠を。
(左&真ん中)平川門の高麗門の表側と裏側。 (右下)高麗門をくぐって桝形の右側方面を。 石段が多いなぁ。
高麗門をくぐって桝形から櫓門へ。 櫓門の右に不浄門。帯曲輪門とも。 櫓門の内側。左に平川濠と帯曲輪。
帯曲輪と堀
平川門から伸びる帯曲輪と平川濠。 竹橋御門側から帯曲輪と大手濠。 大手濠を挟んで帯曲輪の石垣を♪
追慕の碑
「追慕の碑」は、太田道灌公没後450年を記念して建立された。
■太田道灌(1432〜86)は、室町中期の武将で、歌人。
名は、資長(すけなが)、道灌は法名。扇谷上杉家の重臣。
1457年、この千代田の地に江戸城を築く。
文武両道に優れ、30数戦して負け知らずの名将だったが、 山内上杉家の策謀により主君に暗殺された、 江戸時代から語り継がれた山吹伝説の歌が、 悲劇の名将の横顔をいまに伝えている。
七重八重 花は咲けども山吹の 実のひとつだに なきぞかなしき
(千代田区の案内板より)
竹橋御門跡
竹橋御門は、旧江戸城内曲輪15門の1つで、 天正18年、徳川家康江戸入国の頃、「竹を編みて 渡されしよりの名なり」と、その由来が 伝えられているが、他にも諸説あり、竹橋の 架設時期と併せ、いずれも定かではない。 御門を通る道は、桜田門外の変により 一時閉鎖されるが、明治3年再開通し、 今の通称代官町通りへと変遷する。 沿道の様子は、時々の社会情勢を色濃く映し、 戦後は、都心の交通・文化・観光のアクセスとして 発展し、この地を巡る皇居周回ジョギングは、 全国的な健康増進気運を高め、親しまれている。 現在のアーチ型竹橋は、大正15年、帝都復興事業で架設され、 平成5年3月、周辺景観との調和や補強を目的に改修を受け、 白・黒・桜の御影石の橋に、装いを新たにした。 (千代田区の案内板より・絵図も)  (右)左の写真から右側に続く石垣。チラッと見えるのが平川橋。

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