【左】長門丸から藤兵衛丸へ向かう石段。右にも道があるけど、まずこっちへ。
【右】左の写真の左側の藤兵衛丸の西面石垣。ど〜んと迫力あって格好いい〜!!
ここから上には自販機が無いので、公園(長門丸)の自販機で調達した方が夏場はいいかも(^^;)
【左】雷門跡へは、石段を上がりきって少し右に行き…。
【右】次に急な感じで左に行くようになる。かなりこじんまりしている。
【左】かなりこじんまりした門跡。このすぐ先が藤兵衛丸。
【真ん中】振り向いて。
【右】雷門跡付近から藤兵衛丸の石垣を。
【左&真ん中】雷門跡を過ぎたらすぐに、藤兵衛丸。山里倉庫や穂積陳重、八束兄弟の生家長屋門がある。
それにしても、下から見た高い石垣の上とは思えないな…。
【右】低いけど石垣も(^^)
この建物は旧幕時代宇和島城内の調練場の一廓にあり、武器庫に使用されていた。 間口29.48m(16.20間)奥行6.097m(3.35間)で、伊達家8代藩主宗城(むねなり)の時代に建造された。 昭和41年、伊達家から宇和島市に譲渡されたので、旧城内唯一の遺構であり、原型を保存して史的意義と由緒にちなみ郷土館に転用した。(宇和島市・宇和島市観光協会の案内板より)
■穂積陳重、八束兄弟の生家長屋門…明治の碩学、穂積兄弟は旧宇和島藩士の出生で、父は穂積重樹、二男の陳重、 三男の八束ともに法学博士、東京帝国大学教授として、日本の近代法学の開祖的業績をあげた。 この長屋門は兄弟が幼年期を過ごした当時の建物である。 後、物部氏の所有になったが、昭和46年秋、当主重樹氏から史的遺構として宇和島市に寄贈された。 (宇和島市・宇和島市観光協会の案内板より抜粋)
■宇和島城の井戸…この井戸は、現在の城山に残る3つの井戸のうち、最も重要視せられたものである。 ここを井戸丸といい、井戸丸御門、井戸丸矢倉などがあって、有事の時のため、厳重に管理せられていたと推量せられる。 井戸の直径、2.4m、周囲8.5m、深さ約11mである。 ここは城山の北側の谷の中腹、三の丸からの登り道に当たり、数少ない城山の遺構の1つである。 (宇和島市教育委員会の案内板より)
藤兵衛丸から先へ進んでいくと、左側に井戸丸へ下る石段がある。
ちょっと急だけど、すぐに井戸丸。
夏は暑いけど、緑の木々に木漏れ日、石垣がいい感じに写せるのがいい♪
ところで、井戸丸への石段を下りながら、知らずに帽子を落とし、上がる時に「似てるなぁ…。」と拾った間抜けな私…。なんだかなぁ…。
【左】井戸丸矢倉跡。
【左下】井戸丸。左奥が井戸丸矢倉跡。
【右下】井戸丸の石垣を見つつ井戸丸門方面へ。
【左】井戸丸方面。
【右】右側の石垣が井戸丸。