京町の通りを東に突き当り、左折して海岸の石垣まで来て反転して門をくぐる。 門を出て外堀の砂津川にかかる門司口橋は、今もそのままの位置で長浜に向かう。 この道は江戸時代の参勤交代にも使われた。九州諸藩の大名は、常盤橋周辺の本陣で一泊し、 明朝、京町筋を通って大里へ向かった。小倉では最も重要な道なので、 昼夜常に開門しており、番所には数人が交代で勤めていた。門の内側には数件の寺が並んでいたが、 現在では「西顕寺(さいけんじ)」と峯高寺(ほうこうじ)の跡に来た「生往寺(しょうおうじ)」だけである。 (小倉北区役所の案内板より・絵図も)
門司口橋は、今もそのままの位置というのが凄い(^^) 袂で開かれた井戸端会議が長くて、写ってしまう。
【左】長浜方面。【真ん中】橋から砂津川(北側)。【右】橋から南側は高架が…。
門司口橋 2015.7.5記
付近で買い物をする予定だったので、そこへ車をとめて徒歩で向かった。 橋では年配の方達が井戸端会議を開いていたり、橋上から川を眺めていたり…。 緩やかな時間の流れる橋だった。