天下布武の印判と信長の署名 | ||
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永禄10年(1567)9月、織田信長は岐阜に居城を移した。 「岐阜」という名称は以前から、禅宗の僧侶を中心にして 使われていたが、信長はそれを広め、定着させたのである。 同年11月、信長は「天下布武」印を使い始める。 それ以降、信長は「天下」という言葉を多用するようになり、 時代は「信長」そして「天下」をめぐって戦乱から統一へと 大きく動き出した。 信長が安土へ移るまでの9年間、日本の歴史は岐阜を中心に展開 したといってよいだろう。 「天下布武」の印判と信長の署名は、岐阜市歴史博物館所蔵の 信長文書を素材にしている。 (案内板より) (2008.10.13撮影) | ||
信長の庭 | 滝 | |
(左&真ん中)池周辺には巨石があちこち見られ、
信長が造った巨石列を壊し、転用していると考えられているらしい。 (右)この滝は、槻谷に造られた滝で、 信長時代のものという説もあるとか。 (公園穴場スポットより)(2008.10.13撮影) |
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岐阜城の井戸 | 三重塔 | |
(2008.10.13撮影) | この辺り一帯は、戦国時代に斎藤道三や 織田信長が、山頂の城と共に山麓に建設したと見られる 居館区域にあたる場所で、この井戸は平成11年の発掘調査で 見つかったものを復元したもの。 発掘した際は、石積みの基礎に松の角材4本が、井桁に 組み合わされて敷かれ、井戸底にサワラとヒノキで作られた 桶が埋まっており、当時はこの桶に水が溜められていた事が、 うかがわれる。(案内板より) | (2004.9.19撮影) |
発掘調査中(H20度) | ||
(上真ん中)A地区。ここからだと 五重塔がよく見える♪ (右上)A地区。池状の落ち込みが あった所なんだって(@@) (左)C地区。明治大帝像の後ろに、 巨石がゴロゴロ! (右)確かC地区。何かあるのかな。 発掘調査って、なんかワクワクする! |
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若き日の信長像 | 板垣退助の像 | |
ん〜。表情、色付いた顔が気になる…(^^;) (2008.10.13撮影) | 板垣死すとも…の。(2004.9.19撮影) | |
岐阜城の遠景 | 工事中(2008.10.13撮影) | 2008.7.28撮影 |
山に小さく見えるのが岐阜城♪ | 石垣の土台だけで、まだ工事中。 | 岐阜城はスッポリと雲の中(^^;) |
■岐阜城…2回目・2008.10.13記
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