トロとまったり・tripのページ(広島城 その12)

二の丸

石垣と建物に囲まれた二の丸は、馬出の機能を持つ曲輪で、全国の近世城郭の中では特異な配置であり、広島城の特徴とされている。 この曲輪は、毛利時代(16世紀末)に築造されたもので、外側から内部が見えにくく、本丸からは内部が見える構造としており、防御機能を考慮した事がうかがえる。 曲輪内には、表御門、太鼓櫓等近世初期の建物が残っていたが、原爆により倒壊、焼失した。 現在の建物は、築城400年を契機に、江戸時代の姿に復元整備したものである。(広島市教育委員会の案内板より)

【右】天守からズームで。

【左】南東側の太鼓櫓と多聞櫓。(2004/8/12撮影)
【右】南西の表御門方面。表御門から二の丸へ入った場合、左折れ(写真は右側へ)で本丸方面へ。

【左】表御門側から東方面。こうやって見ると、意外と広く感じるし、まさに長方形だなぁ…と(^^)
【真ん中】中御門跡との土橋から見た北側(北西隅方面)の石垣。北西隅から左側へは、右の写真の塀。
【右】西側から北西隅(真ん中の写真の奥側を、西側から)。左奥が、本丸の中御門跡の桝形の石垣。

【左】土橋側から二の丸東方面、手前が馬屋跡、右奥が太鼓櫓。
【真ん中】馬屋跡。
【右】東側の多聞櫓跡。

【左】東側の多聞櫓跡下の井戸。
【真ん中】南側の番所跡。
【右】被爆石垣石。赤茶色になっている。

二の丸・表御門

天正期末(16世紀末)頃の建造と推定され、昭和20年の原爆被爆による焼失までの約350年間存続していた。 現在の表御門は、平成元年の広島城築城400年を記念して復元に着手、平成3年に完成。平成の復元では、昭和9年に 当時の陸軍第五師団経理部が作成した実測図を基に、発掘調査の成果や明治期から昭和期にかけての写真を総合的に検討、 焼失後も残存した表御門の礎石(柱下の石)上に、昔通りの工法によりよみがえらせた。(広島市教育委員会の案内板より)

【左】外側の御門橋側から。斜めからもいいなぁ♪
【右】内側から。左側が平櫓。

【左】外側の御門橋側から。人がいない前回を紹介。(2004/8/12撮影)
【真ん中】内側から。(2004/8/12撮影)
【右】横から。

室内は思っていたのと違い、外からの灯りではなくて、電気で明るくされ、模型が置かれていた。

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