【偕楽園】

茨城県 偕楽園 いばらきけん かいらくえん
日本三名園の1つ
(=金沢「兼六園」岡山「後楽園」茨城「偕楽園」
入園時間=7時〜18時(好文亭=9時〜16時)
        6時〜19時(4月〜9月15日)
入園料=園内無料(好文亭=190円)
休園日=無休(好文亭=12/29〜31)
駐車場=500円          (2004.3.13現在)
住所=水戸市常磐町1-3-3
この時は、常磐自動車道水戸ICから国道50号バイパス 千波町交差点を左へ、そのまま直進し、 偕楽園下の交差点を左へ行き、少しすると 左に駐車場がある。(一応下調べして下さい。)

偕楽園駅(臨時駅) 偕楽園
金沢「兼六園」岡山「後楽園」と並ぶ、 日本三名園の1つ。偕楽園の名称は中国の古典「孟子」の 「古(いにしえ)の人は民と偕(とも)に楽しむ、 故(ゆえ)に能(よ)く楽しむなり」という一説から取ったもの。 水戸藩第九代藩主徳川斉昭(烈公・1800〜1860)が 自ら造園計画の構想を練った。
←この時期にしか止まらない臨時駅。
吐玉泉(とぎょくせん) 中門 太郎杉
樹齢約750年!!
大きくて写真に入りきらない!
■吐玉泉…ここは昔から湧水の多かった所で、 眼病に効くと言われていた。偕楽園造成にあたり、 その湧水を茶室何陋庵(かろうあん)の 茶の湯に供すると共に、造園上の添景を考慮し 白色の泉石を据え、特殊な工法を施した 湧水泉を建造したものである。 泉石は常陸太田市真弓山の大理石で、 現在の物は昭和62年に設置したものである。 (案内板より)
好文亭
水戸藩第九代藩主徳川斉昭(烈公)の別墅(べっしょ)で、衆とともに楽しむ所だった。 名前は梅の別名好文木に由来している。二層三階の好文亭と北につながる奥御殿からなり、 一般に全体を総称して好文亭と呼んでいる。三階を楽寿楼と呼び、前面に千波湖、 東には遥か大洗方面の松林、西方には遥かに筑波山が眺められる。昭和20年戦火により焼失したが、 30年から3年を費やして復元された。内部の東広縁、紅葉の間、菊の間、桃の間、萩の間 等が昔の面影をそのまま伝えている。亭には付属する草庵風の茶室、何陋庵がある。 亭は柿(こけら)葺き奥殿は茅葺で、造形は、数奇屋。

創建 天保13年(1842)7月・水戸九代藩主徳川斉昭(烈公)
建物 好文亭 115.47坪(381.72u)      奥御殿 102.35坪(338.35u)   太鼓廊下 5.71坪(18.88u)
※奥御殿と太鼓廊下は、昭和44年9月落雷により焼失、 復元工事に着手し、昭和47年2月完成した物。(案内板より)
3階のつるべは考えたな〜と感心(笑)その3階からは凄く見晴らしがいい!!でもちょっと寒かった。 (右)千波湖。
輪(りん)違い梅「思いのまゝ」(好文亭にある)
八重咲きで、花の色は白、淡紅、紅色、絞りなど枝による咲き分けとなる 為「思いのまゝ」と名づけられている。
盆栽として一般に愛好されている 種類で、庭木としてはこれだけの大きさの梅樹は珍しい物。 (案内板より)
徳川光圀公像 徳川斉昭公・慶喜公像 橋の桜模様

■梅まつり
結構咲いてて、梅の香りがここかしこと漂ってて、気分がいい。 梅の香水が売っていて、気になったけど、(私には)目ん玉が落ちる くらい高くて、諦めてしまった。 梅の色は白梅が多くて、紅梅は少なかった。でも凄い量で圧巻。 お弁当と飲み物を持って行けばよかったなぁ。 ところで、好文亭だけど、 梅まつりで好文亭の料金所までも数珠繋ぎ。 周りのお客さんの言葉。「ここまで来たからには入ったほうが いいんじゃない?」確かに動機なんてそんなもの(笑) さて、好文亭は、風通しが良くて、春とはいえ、 足の裏が冷たかった(^^;)家に帰って足の裏を見ると、靴下が真っ黒 になってた!そうそう、 梅まつりで観光客が多くて、どこのトイレも、これまた数珠繋ぎ(笑) いろいろな所にトイレがあるんだけどね。厳しくなる前に、 女の人は並んだ方がいいかも! ティッシュペーパーも持っておいた方が無難。 人が多い時はとくに。なぜかというと、後ろに並んでいたおばあさん達が、 「無いよ!!」って騒いでたから(^^;)

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