福知山城の銅門の脇(市役所の東)にあった番所で、城内の建築物として、当時の面影を偲ばせるものである。 大正時代の始めに天守台(小天守台)に移築され、更に昭和59年天守閣再建に伴いこの場所に移築された。(案内板より)
【左】本丸西側と天守。 写真手前に銅門番所がある。
【右】左の写真と同じ真横から。
【左】本丸西側と天守。
【右】左の写真の右側の道。
【左】天守東側から。
【右】左の写真の右側の小天守方面。
【左】大天守の入口のひろこさん&光秀くん。作:尼子 騒兵衛。…なるほど見た事があると思った〜!
【真ん中】小天守の穴倉入口。
【右】天守から小天守を。
■豊磐井(とよいわのい)…井戸の深さは50m(城郭内湛水井としては日本一の深さ)。 この地表は海抜約43mなので、井戸底は海面下7mに達していることになる。 城にとって飲料水は最も大切な条件だが、機械の無かった時代に硬い岩盤をこれほど深く掘削した苦労が偲ばれる。(案内板より)
鉄砲の名手牧重郎左衛門の技量を後世に伝える為、城主松平忠房が建てた記念碑。 当初は土師の絵堂坂にあったものが、旧国道9号線の整備により放置され、 その後に民家の裏庭、さらに福知山城再建に当り、寄進頂き、この場所に移設したもの。(案内板より)
【左】本丸の東側付近。
【真ん中】左の写真の左側の塀。
【右】左の写真から下りると本丸下側の分岐付近へ。