凄く派手な門を通ると、二の丸御殿がど〜んと建っている。そう考えると、ふさわしい門(^^)
入口にはこんな凝った飾り。素敵〜(^^)中は広くて歩くだけあった〜(^^;)
武家風書院造の代表的な御殿建築で、車寄に続いて遠侍、式台、大広間、蘇鉄の真、黒書院、白書院の6棟が東南から西北にかけ雁行に並んでいる。 建物面積は3,300u、部屋数は33、畳は800畳余りある。各部屋の障壁画は狩野派の手によるもので、部屋の目的に応じて描かれている。 また欄間の彫刻、飾金具、長押(なげし)に打たれた花熨斗形(はなのしがた)の釘隠しなどは、金飾鮮やかに豪華を極めている。 また、御殿東北には、台所・御清所(おきよどころ)がある。(案内板より)
乗っかってる装飾が龍!!
幕末の政変の時期、二条城と北側の所司代との連絡に使われたもの。 鐘は二条城と所司代に設置され、二条城では東北の艮櫓跡に所司代の千本屋敷から火の見櫓を移築し、鐘楼も建て鐘が設置された。 明治時代二条城に京都府が置かれた時も、非常時に備え使用されていた。 幕府の政務の場であった二条城と所司代は幕末の混乱の中、朝廷側との政争で緊迫していた。 薩摩・長州など朝廷側の動向に備え、鳥羽伏見の開戦など非常時の連絡を告げ、住民にも知らせるため鳴らされたものである。(案内板より)
古来からの造庭術に従い、池の中央に蓬莱島、その左右に鶴亀の島を配した書院造庭園で、小堀遠州の作と伝えられている。 庭は、寛永3年(1626)、池の南側に御水尾天皇の行幸御殿が建てられた際に改造されたと言われており、主に大広間、黒書院、行幸御殿の三方向から見られるよう工夫されている。(案内板より)
【左】二の丸御殿から歩いて行くと南門。
【真ん中&右】城内からは何の変哲も無い門だけど…。
【左】城外から見るとこうなっていた!
【真ん中】左上の左奥の屋根に花。他の屋根の上にも花が乗っていた。
【右】南門周辺の土塁かな?
ここから北にある鳴子門よりも大きく、袖塀もない。
【左】桃山門付近から本丸石垣。この写真は凄くお気に入り♪左奥が天守閣跡。堀に写る空の色、石垣の形が映えてとてもきれい。
【右】桃山門付近から本丸櫓門。
北中仕切門と同じで、屋根の部分が2段になっている門。
堀からの姿は格好いい!東南隅櫓と違って唐破風。
【左】内側からは木が邪魔をしていた。
【右】西南隅櫓付近にあった石垣。2段くらいの石垣が残っていた。
どちらも西側の堀沿いに建つ土蔵。細長いから普通に写真に入んない大きさ(^^;)
【左】米蔵(土蔵・南)
【真ん中】米蔵(土蔵・北)。
【右】米蔵(土蔵・北)。西橋から。
城内では近寄れないようになっていたけど、立派な石垣が残っていて、堀から見ると多門塀がいい感じ(^^)
【左】西橋。
【真ん中】西橋から天守跡を。
【右】西橋から先の本丸石垣。