トロとまったり・tripのページ(二条城 その3)

本丸御殿&本丸庭園

内濠に囲まれた部分16,800uを本丸と呼ぶ。創建当時の本丸御殿は二の丸御殿にほぼ匹敵する規模を持っており、内部は狩野派の障壁画で飾られていた。 また、本丸の西南隅には五層の天守閣がそびえ、壮麗を誇っていたが、寛永3年(1750)落雷のため焼失、さらに天明8年(1788)には市中の大火のため殿舎をも焼失し、本丸は廃墟と化した。 その後、永らく本丸御殿の再建はならず、幕末に15代将軍慶喜の住居として本丸御殿が建てられたが、明治14年に破損が甚だしいために撤去された。 現在の本丸御殿は、もと京都御所今出川御門内にあった旧桂宮邸の御殿を明治26年から27年にかけて本丸内に移築したものである。(案内板より)

御常御殿からの眺めが、いつまでも見ていたいくらい良かった(^^)

天守跡

天守台石垣高さ約21m、上敷地445u、この上に五層の天守閣が寛永3年伏見城から移して建てられた。 寛永3年雷火により付天守とともに焼失し、以後再建はなかった。(案内板より)

【左】下の真ん中の写真の所から写したもの。

天守閣跡からの景色。
【左】本丸御殿。
【真ん中】西南土蔵。
【右】西橋、米蔵。

本丸櫓門

他の門に比べ、大きさはいいとしても、の〜っぺり(^^;) 少し跳ね気味の髪、目無しで口をポカーンと開けてるみたい。

本丸側から見ると石垣があるので、門でもあったのかな?手前は枡形っぽいし、石段もあった(^^)

本丸櫓門&石垣&コブハクチョウ

この白鳥は、日本中央競馬会京都競馬場から寄付を受けたもの。 名前は平成13年9月15日に開催した二条城音舞台を記念して名づけたもので、雄は音くん、雌は舞ちゃん。 どちらも平成11年生まれ(^^)
【右】2羽が引き立つ♪

鳴子門&袖塀

ここから南にある桃山門とは違って、こじんまりしていて、袖塀が付いている。
【右】北に進んで本丸櫓門を見たところ。

北中仕切門&加茂七石

【左&真ん中】この門の屋根の形は南中仕切門と同じで、石垣も斜めだった。
【右】加茂七石。それぞれ石に名前が付いている。

北大手門

城内からは通行止めになっていて近寄れないし、外からも入れないし、おまけに車が邪魔だし〜!!
【左】外側。【右】内側。

収蔵庫
土蔵
側溝遺跡

【左】どれだけ長いのっ!?っていうくらい細長い蔵。
【右】平安京二条大路北側側溝遺跡。暑いから、「日陰〜♪」っと歩いていると、足元に側溝跡を発見(笑)

平安京跡 神泉苑 東端線
平安京跡 神泉苑 西端線
北西端

【左&真ん中】堀周りをトコトコ歩いていると、ひょっこりと生垣の間に立っている。
【右】昔は4隅にあったらしいからここにも隅櫓が?

冷然院跡

ここは、平安前期〜中期、冷然院があった所。 弘仁年中(810〜824)嵯峨天皇の離宮として造営されたのがはじめで、 林泉を前に数十の建物が建ち、天皇はしばしば行幸になって、華麗な詩歌の宴を行い、譲位後は後院(上皇の御所)として使用された。 嵯峨上皇の後、冷然院は皇室の重要な財産として伝えられ、代々天皇の離宮・後院として利用された。 建物は前後4回火災にあったが、その度に面目を一新して再建され、その間に然の字を改めて冷泉院とした。 天喜3年(1055)に取り壊され、以後の状況は不明であるが、平安前・中期の200年以上にわたり、代々皇室に愛好され、 林泉の美をたたえた文学作品も多く、平安文化の一中心であった。(案内板より)

二条城 2006.9.17記

下調べも兼ねて夜通ると、嬉しい事にライトアップされていた(^^) そばに有料駐車場があって便利。朝早くから見学に来ると、続々と観光客がやって来た。さすが世界遺産だ(^^;) しかも、本丸御殿特別公開中。まず、二の丸の中を見て回り、障壁画、造り、釘隠しだのと満喫。 そして、いくつもある門を写しつつ、内心「門ばっかり。」でも、堀を挟んだ本丸の石垣を見た時は、嬉しかった〜(笑) そして、本丸御殿。こちらも凄く広くて、見て回るだけある。気に入ったのは、御常御殿三階縁側から見る景色。 縁側に座るな的な事が書いてあった。確かに、この縁側に座って、歩き疲れた足を休めて見ると気持ちいいだろうな〜なんて(笑) 一通り城内を見て回ったら、城外。東南隅櫓、西南隅櫓、門等を見るんだけど、広〜い!! 9月の中旬にもかかわらず、暑い!溶けそうな思いをしながら歩き続けて見学終了。