長野県 松本城 |
■松本城(別名=深志城) 観覧料金=600円(他、共通券あり。) 公開時間=8時半〜17時(入城は16時半まで。) 休館日=年末年始。 駐車場=近隣の有料駐車場 (2007.7.29現在) |
住所=松本市丸の内4番1号 長野自動車道 松本I.Cを、左の松本19号と書かれた国道158号へ。 そのまま進んで、直進の国道143号へ進み、中央1丁目交差点を左折、 そのまま進んで、蟻ヶ崎高交差点を右折、左側に市営開智駐車場。 今回利用した松本城大手門駐車場へは、中央1丁目交差点を過ぎて、 伊勢町交差点を左折、中央大手橋を過ぎて、西堀公園前を右へ。 |
外堀(南側) | 松本城天守の石碑 | 二の丸 |
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二の丸には、東から面積約2,330uの二の丸御殿(藩庁)、 面積約700uの古山地御殿(城主私邸)、藩の籾蔵、幕府の 八千俵蔵(備蓄米2千石貯蔵)、焔硝蔵が並び、また、外敵に 備えて5棟の隅櫓が置かれていた。(案内板より) | ||
二の丸南西側から、天守から黒門を見たもの。 格好いい!(※パノラマっぽく加工) | ||
八千俵蔵跡 | 埋橋 | 足駄塀跡 |
埋橋は、天守をバックに撮れる撮影スポット。 到着時は、凄い人だったぁ(@o@)というわけで、 空いた頃に撮影(^^;) | ||
松本博の石碑&マスコットキャラクター夢丸 | 作事所跡 | |
(左&真ん中)平成5年(1993)に開催された国宝松本城400年まつり の碑と石像。右側に写るのは西側の外堀。 | ||
太鼓門 | ||
桝形門は、石垣・土塀を四角に囲って、
外と内に門を二重に構えたものである。
松本城には、大手門・太鼓門・黒門の3つの桝形門があった。
太鼓門は、天守築造後の文禄4年(1595)頃に、石川康長によって
築造された。この門の名称の由来となった太鼓楼は、
門台北石垣上に置かれ、太鼓や鐘がおかれて様々な合図が
発信され、また櫓門の脇には、築造者の官名に因む、
重量22.5tの巨石、「玄蕃石」を控え、威風堂々とした
桝形門を形造っていた。
一般に、城の重要な門には、威厳を添えるため巨石を据えることが
多かった。この玄蕃石も同様な意味を持つものである。
石川康長のころには、天守を中心として本丸二の丸(内曲輪)を
「御本城」として整備拡充し、三の丸(外曲輪)には、武士を集住
させるための、武家屋敷は建設途上であり、5ヶ所の城戸(柵門)は
いずれも櫓門に変えられたが、大手門が桝形門に整えられたのは、
康長の改易後に入封した小笠原秀政の治世下と考えられる。
(松本市教育委員会の案内板より・絵図も)
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(左)太鼓門・一の門を内側から。 (真ん中)石垣横の石段を上がって…。 (右)一の門の室内へ。ここは、太鼓楼。 | ||
(左)とてもきれいな室内。 (真ん中)松本城の模型。 (右)太鼓門・一の門の鬼瓦と鯱。 兜を被ってるみたい(^w^) | ||
(左)この切株は、平成8年〜11年に太鼓門が復元された際、 櫓内の梁に使用された樹齢140年の赤松の根元。 (案内板より) (真ん中&右)太鼓門・二の門前の鵜首から、 二の丸東側の外堀を南方面、北方面を見たもの。 | ||
二の丸御殿跡 | ||
二の丸御殿は、初め、藩の副政庁として造営されたが、
享保12年(1727)本丸御殿焼失後は、正政庁となった。
廃藩後、一時、筑摩県庁舎として用いられたが、
明治9年(1876)6月焼失した。
(松本市教育委員会の案内板より)
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天守と御金蔵 | 味噌部屋 | 二の丸・丑寅櫓跡 |
(左)二の丸御殿から、天守が♪ 右に小さく写るのが、御金蔵。 (真ん中)手前の部屋は、なんと味噌部屋! | ||
二の丸裏御門橋 | 本丸北門の土橋(正面) | 二の丸・丑寅櫓跡 |
(真ん中)逆光の二の丸裏御門橋から、 本丸北門の土橋を。 (右)内堀を挟んで、丑寅櫓跡を。白鳥がス〜イスイ。 | ||
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