月見櫓 |
北・東・南に設えてある舞良戸(まいらど)を
外すと、三方吹き抜けになり、回りに巡らされた
朱塗りの回縁や船底型の天井など書院風の造りと相まって、
優雅な雰囲気を醸し出し、天・守渡櫓・乾小天守と比べ
開放的で、平和な時代に造られた事がよく分かる。
この月見櫓は松本城主松平直政(家康の孫)によって、
一国一城令という統制の厳しい中、寛永年中に
三代将軍家光を迎える為、増築されたもの。
現存する城郭建築の中で月見櫓を持つのは松本城と岡山城だけであるが、
天守と一体となっているのは、松本城だけである。
(案内板より)
(右)2003.8.1撮影。
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本丸・水門跡 |
付近の石垣 |
(左)右側の石垣は、月見櫓。
(真ん中&右)付近の石垣。低い石垣が長〜く続いていた(^^)
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天守入口付近から月見櫓方面 |
渡櫓 |
室内の石垣 |
(左)ここから見る月見櫓、辰巳附櫓、天守の連なり方が素敵〜(^^)
(真ん中)天守と乾小天守を繋ぐのが渡櫓。
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矢狭間・鉄砲狭間 |
花頭窓 |
桔木構造(四階小屋組み) |
小さい方形のものを鉄砲狭間、長方形の
ものを矢狭間と呼び、内側が広く外側が
狭い。蓋のない初期的構造である。
(矢狭間60、鉄砲狭間55ヶ所。)
(案内板より)
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乾小天守4階に2ヶ所、
辰巳附櫓に2ヶ所設けられている。
窓の内側には、引分の板戸が付き、下の敷居には
水切りの小穴があけられている。(案内板より)
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重い屋根の軒を支えるために、テコの
原理を応用した構造。
※天守6階の天井も同じ。
(案内板より)
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武者走 |
石落 |
天守大棟の鯱 |
天守1階の周囲1間通りは、内側の床より50cm低い。
これを入側(いりかわ)又は武者走と呼ぶ。
戦闘の時、武士が矢玉を持ってここを走り回るので、
その名が付いたという。
武者走の外側の柱列をよくみると、曲線を描いている事が
分かる。これは下の天守台石垣の天端の線が糸巻き状曲線に
仕上げてある為。影響は2階にも及んでいる。(案内板より)
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天守1階の四隅に壁から張り出して、下方に開口
(常は蓋をする)する構造を石落と呼ぶ。
これは石垣をよじ登ってくる敵に対して石を落としたり、
弓や鉄砲をうって撃退する装置である。
松本城では、四隅のほか、天守1階の中央や乾小天守・
渡櫓にも石落が設けられていて、他城に比べてその数が多い。
(11ヶ所)(案内板より)
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鯱は、頭は竜または虎に似ていて、背には鋭いとげを持つ
海魚の形をした想像上の動物である。
大海の水を飲み干し、非常の場合には、これを吐き出して
身を守ると言われている。火災避けのまじないとして
天守などの大棟にあげられ、棟飾りに使われている。
ここに展示してある鯱は、昭和の修理の際に新しい
鯱と取り替えられたもの。(案内板より)
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多分、(左)柱が多いイメージだから、天守2階。
(真ん中)3階かなぁ…?(右)破風の影が見えるから、5階かなぁ。
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天守6階
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(左)こちらも桔木構造!迫力がある!
(真ん中&右)西&南。前回と同じで、
遠くの山が全然見えないなぁ〜(^^;)
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(左)東。
(真ん中)北。真ん中から左よりに、木に隠れるように重文の
旧開智学校が見える。
(右)太鼓まつりの日!
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瓦 |
(左)鬼瓦なんだけど、両サイドにカールが。
(真ん中)はなれ六ツ星。
(右)笹竜胆…でいいんだよね?
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