長野県 松代城 |
■松代城=(別名=海津城、待城、松城)=無料 開門時間=9時〜17時(入場=16時半まで) 休業日=無休 駐車場=無料駐車場 (2007.7.29現在) |
住所=長野市松代町松代 この時は、上信越自動車道 長野ICを下りて、 長野インター信号で左折して県道30号へ。 長野インター南信号で国道403号へ右折。 そのまま国道403号を南下し、 荒神町信号の次の中町信号を右折し、松代駅に出たら 道を左折し、次に右折。真田宝物館駐車場を過ぎて少しして、 右折。すると、右側に駐車場、線路を挟んで正面に松代城があった。 |
江戸時代末期の松代城と城下町 | 周辺案内図 |
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(奥より)太鼓門&太鼓門表門(橋詰門)&太鼓門前橋 | ||
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■太鼓門前橋…
太鼓門表門(橋詰門)の前には橋が架かっていた。
内堀の調査では、堀の中から30本以上の折れた橋脚を
発見した。橋脚の形状や打ち込まれた層位の違いから、
橋の架け直しが4回以上行われたことが分かった。 このことから、災害のたびに橋が崩落・破損したという 当時の史料記載を裏付けた。発見した橋脚や江戸時代末期の 絵図面をもとに、前橋を忠実に復元した。(案内板より) (左下=早すぎて、まだ閉門中〜(笑) 下真ん中=太鼓門前橋を横から。 右下=堀の蓮。蓮華が大きくなったような蓮だった♪) |
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太鼓門 | ||
■太鼓門…
太鼓門は本丸内では一番大きな門だった。
本丸大手(正面)の出入口(虎口)は、桝形に石垣をまわし、
二層の櫓門(太鼓門)と桝形門(橋詰門)の2つの門で
構成している。このような形を桝形といい、本丸を厳重に
守っていた。良好に残っていた門礎石をそのまま利用し、
絵図面などから、栩葺(とちぶき…板葺)で切妻屋根の姿を忠実に
復元した。太鼓門の名は、時を告げる太鼓を備えていたことに
由来したようである。(案内板より)
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本丸 | ||
■本丸御殿跡… 本丸内には、江戸時代中頃まで政庁や藩主の住居のための 御殿があった。調査では、建物礎石や井戸跡、焼けた土壁など、 享保2年(1717)の火災で焼失した御殿の痕跡が多数見つかっている。 しかし度重なる水害の影響により、明和7年(1770)に城の南西に 位置した花の丸に御殿を移した。(案内板より) | ||
辰巳隅櫓跡 | 海津城址之碑 | |
本丸南東の辰巳隅櫓跡。(左)東不明門跡付近の二の丸から見たもの。 (真ん中)本丸側から。 | ||
未申隅櫓跡&武者走り | ||
(左)二の丸南西側から見たもの。格好いい!(※パノラマっぽく加工) (右)本丸側から。奥が未申隅櫓跡。 | ||
戌亥隅櫓跡 | |
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本当に、格好良かった〜!どこから見ても勾配が美しい〜(^^) | |
■戌亥隅櫓跡…
本丸北西の戌亥隅櫓の石垣は、松代城内でも古い
近世初期のものと言われており、その高さと勾配の美しさは、
当時の石工の技術の高さを物語っている。
(案内板より)
(左)北側から。(右)西側の土塁と。 (左下)戌亥隅櫓台上。 (下真ん中)下を見ると、かなり急!! (右下)西側の土塁を上から。 |
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