【松代城(海津城) その2】

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(奥より)北不明門&北不明門表門
■北不明門… 本丸の裏口(搦手)に位置する門である。太鼓門と同様に 櫓門と表門(桝形門)の2棟による構成だった。 18世紀中頃に行われた千曲川の改修以前は、 門が河川敷に接していたことから、「水之手御門」と呼ばれる こともあった。絵図史料をもとに、当時の門礎石をそのまま 利用して忠実に復元した。櫓門は石垣に渡らずに独立しており、 中世的な様相を残した松代城の特徴的な門である。 (案内板より)
(左=二の丸から。この時はまだ閉門中だった(笑)左下=桝形から北不明門。 下真ん中=本丸側から。屋根の上の点はカラス。アクセントはいらないよ〜。  右下=北不明門の左側の石垣で、戌亥隅櫓跡方面を見たもの。)
北不明門表門(表&桝形&裏から)
(真ん中)本丸から北不明門を通って、桝形を 左へ曲がって表門へ向かうようになる。
本丸北東〜北不明門〜戌亥隅櫓跡&(北不明門前=兵糧蔵跡)
1枚ではさすがに無理なので、パノラマっぽく加工。 いい感じになった〜♪北不明門前辺りに、兵糧蔵があったそう。
東不明門跡&東不明門前橋
■東不明門跡&東不明門前橋… 本丸東側には「東不明門」と呼ばれる櫓門があった。 当時の門礎石は保護のために、地表下30cmに埋設し、 レプリカの門礎石で門のあった位置を示している。 通常この門は閉じられており、太鼓門前橋などが 崩落し利用できなくなった時などに、通用門として 門が開かれたようである。また、内堀からは折れた 東不明門前橋のものと思われる橋脚が見つかった。 (※この橋は管理用として整備したもので、復元ではない。) (案内板より)
(左下=二の丸から本丸方面&礎石のレプリカ。下真ん中=本丸から。
 右下=北へのびる本丸石垣。)
二の丸南門 松代城跡碑
二の丸南門は二の丸大手(正面)にあたる門である。 調査成果から、門が土塁の土留をしていたと考えられたため、 整備では石垣と門の一部を表示している。(案内板より)
(左より)太鼓門前橋〜内堀〜二の丸〜二の丸の土塁 二の丸の土塁
二の丸南門を入って左へ向かうと、土塁(真ん中の写真)があって、 ぐる〜っと(右の写真)なっていた(^^)
本丸の未申隅櫓跡から戌亥隅櫓跡の石垣を見つつ、二の丸を北へ
ヴモォ、ヴモォ。と、懐かしいウシガエルの声を聞きつつ、 北へ向かっていくと、行く手を阻むようにド〜ンと土塁が。
(北から)北不明門〜戌亥隅櫓跡〜二の丸土塁〜埋門
パノラマっぽく加工。戌亥隅櫓跡からのびる土塁がなんとも凄い! 右側の土塁の穴っぽいのが埋門。
二の丸の井戸 埋門 二の丸の土塁
千曲川改修後に造られた井戸である。 絵図をもとに再現している。(案内より) 二の丸土塁のトンネル状の門である。 絵図をもとに景観のみ再現している。(案内より) 百間堀・新堀の際に、不崩の土手と呼ばれる 土塁が築かれた。(案内より)
下ノ水の手門 百間堀跡 搦手口と新堀
北不明門の北に位置。百間堀跡は、砂利で表示しているみたい。 どこまでもきれいに整備されていて、感心する(^^)

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