南曲輪と法幢院曲輪との空堀 | ||
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深い空堀。民族大移動を思わせる ような白兔橋。。(2009.4.12撮影) |
白兔橋から。朝の光が木々から 漏れて素敵(^^) (2005.9.18撮影) |
白兔橋から東側を。この時は、中央 アルプスが見えず。(2009.4.5撮影) |
法幢院(ほうどういん)曲輪 | ||
二の丸から堀内道で通じていたこの曲輪は、城郭の南端に位置し、
曲輪の東方には幅6m、長さ170mの馬場が続いていた。
かつて、ここには法幢院と言うお寺があり、高遠城落城の
際には、法要が営まれたが、城中という立地的制約があったため、
一般の人も参詣できるようにと、城の東、月蔵山の麓の
龍ケ澤に移り桂泉院と改名して現在に至っている。
この曲輪からは、西に中央アルプス、東に南アルプスが望め、
桜の時は残雪が、紅葉の時は新雪が目にも清かに映る。
(案内板より)
(真ん中)南側にも堀が残る♪(右)二の丸と法幢院曲輪(右側)との空堀。 (左=2005.9.18。他=2009.4.12撮影) |
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白兔橋付近から薄っすらと見えた白い中央アルプス。 全部、雲じゃないのだ。(2009.4.12撮影) | ||
南ゲート | ||
(上3枚)「つぼみ」の状態で、 ここが1番咲いていたんだ〜♪ (2009.4.5撮影) (左&右)1週間後には満開!! 凄くきれいだった〜(≧▽≦) (2009.4.12撮影) |
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信州高遠美術館&横の謎の建物 | ||
信州高遠美術館の所のトイレは、 トイレっぽく無い外観(笑)丁度、 草刈中で、ゆっくり出来たんだ♪ ブロック上の櫓は、城址公園も 美術館も関係無いみたい(^^;) (左&右=2005.9.18.撮影) 完璧にお城!素敵に見える(笑) (左下&下真ん中='09.4.12撮影) 桜はツボミ。(右下='09.4.5撮影) |
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白山橋&三峰川 | ||
信州高遠美術館の近くの階段を(あやしい城の付近) 下りると、白山橋方面へ。 (右=2005.9.18、他=2009.4.5撮影) | ||
高遠湖&高遠町歴史博物館 | ||
(左&真ん中)高遠湖。奥に見えるは、
高遠町歴史博物館(右の写真も)。
(右=2005.9.18。他=2009.4.5撮影) この近くに、保科正之公の像とお静顕彰碑、お静地蔵があるんだけど、 レプリカと分かっていても写せなかった(^^;) |
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(左)高遠湖ダム。 (真ん中)皆お日様に向かってた咲いていたコスモス。(^^) (2枚=2005.9.18。右=2009.4.5撮影) | ||
絵島囲み屋敷 | ||
「浮世にはまた帰らめや武蔵野の 月の光の かげもはづかし」 絵島が、江戸を離れる時詠んだといわれるこの歌を残して、 正徳4年(1714)3月、遠流の刑となった幕府大奥の 大年寄絵島は、春まだ浅い高遠に護送されてきた。 絵島が暮らした八畳の部屋は、周囲が全て開く事のできない はめ込みの格子が入り、屋敷を囲む塀には「忍び返し」が 付けられた物々しい造りであった。 大年寄という高い位置にまで上った絵島であったが、 徳川幕府の安泰を願う封建の世に、政権争奪の犠牲とも 思える罪に問われて、栄華と権力の社会から一朝にして 蹴落とされ、33歳の女ざかりに一生許されぬ遠流の刑に 処せられた。山国高遠で28年の幽閉生活に耐え、 日蓮宗に帰依し、ひたすら御仏の懐に抱かれるような 信仰の毎日であったが、寛保元年(1741)4月、 病の為波乱に富んだ61年の生涯を閉じた。 (案内板より) (左)間取図(享保の古図)。 (右)物語まぼろしなりし わが絵島 墓よやかたよ 今うつつな里 十月亭(有島生馬の俳号) (左下)入口。(下真ん中)こじんまりした絵島囲み屋敷。 (右下)忍び返し!?厳重! (絵島囲み屋敷=2009.4.5撮影) |
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(左)玄関。奥が台所。 (真ん中)左が絵島の間で、右側が下女詰所。 (右)絵島の間。机の上には花が飾られてた。 | ||
三峰川 | ||
高遠城付近の駐車場へ向かおうと思ったけど、道路が規制されていて
近寄れず…。恐るべし!花見の時期! というわけで、少し離れた川沿いの無料駐車場に…。 おかげで、こんなにきれいな景色が♪(2009.4.12撮影) |
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