【鮫ヶ尾城 その3】

・・・鮫ヶ尾城は3ページにわたって紹介・・・  【1】 【2】 【3】  ■←モドル

二ノ丸
N175曲輪(通称二ノ丸跡)は、北遺構群(N群)に 属する標高約175mの地点に位置する曲輪である。 発掘調査により、曲輪の中央に約8.6m×約5.1m、 広さ約13坪の掘立柱建物が1棟存在し、その周辺に 投石用の飛礫石が集積されていた事がわかった。 被熱した陶磁器片が散乱した状態で多数出土した事から、 天正7年(1579)の御館の乱の戦火で落城し、 そのまま廃城になった事がうかがえる。 もう1段下のN167曲輪(通称三ノ丸跡)からは、 全国的にも珍しい炭化した握り飯が形を留めた 状態で出土した。 (妙高市教育委員会の案内板より)
(真ん中)本丸の土塁を見上げて。 (右)二ノ丸から分岐点方面。
腰曲輪
(左)分岐点から。正面が本丸で、本丸を反時計回りに腰曲輪。 (真ん中)本丸入口。右下に腰曲輪。 (右)腰曲輪。
本丸
標高185mの山頂(通称本丸跡)は眺望に優れ、 日本海から信越国境の関田山脈までを一望する事ができる。 山頂周辺の尾根筋に主要な曲輪や堀切が集中的に配置され、 籠城する為の空間として入念に整備されている。 御館の乱以後、火事場整理を経て再利用された形跡が ないことから、謙信時代の姿を忠実に留める山城として 高く評価することができる。 (妙高市教育委員会の案内板より)
(左&真ん中)急な本丸虎口。 (右)本丸は2段になっていて、虎口側が低く、 奥が高くなっていた。写真は奥から。
(パノラマっぽく加工)曇っているのが残念なくらい、眺望がいい(^w^) ただ、毘の文字が濡れて怖い事に…(^^;)
(左)東屋がある。おかげで、通り雨の雨宿りができた(^^) (真ん中)城址碑。 (右)鮫ヶ尾城跡の標柱。
大堀切2
(左)米倉(左側)と本丸(右側)の大堀切! (真ん中)米倉を正面に左側。木漏れ日がいい感じ♪ (右)本丸方面。
米倉跡
(左)本丸から。手前が大堀切2。 滑りそうでドキドキしつつ、大堀切を渡り米倉へ。 (右)堀切から見上げて。こんもり。
分岐点〜北登城道
(左)帰りは、分岐点から北登城道を下った。 (真ん中)九十九折の道。 (右)本丸、米倉、西の丸への分岐点。
景虎の清水 見上げて 北登城道口
(左)近寄り難い雰囲気の中、ポツン。 (真ん中)大きい葉だから、通り雨が助かった。 (右)案内所側の登城口に到着。
斐太遺跡群 斐太遺跡
(左)斐太遺跡群 斐太遺跡の碑。 (真ん中)竪穴式住居。 (右)鮫ヶ尾城の麓等に、遺跡跡が残っているらしい。
勝福寺の上杉景虎像 立ノ内(館ノ内)
「たてのうち」と呼ばれるこの畑一体 と周辺は、戦国時代に鮫ヶ尾城の 「館」があったところである。館とは、 防御施設を備えた豪族や官吏等の 邸宅の事で、平常時は城主が起居 してこの地域の行政を行うが、戦が 始まると本城(鮫ヶ尾城)に居を 移して防御を固め、戦の指揮を とった。(妙高市教育委員会の案内板より)

■鮫ヶ尾城
春日山城の次に、訪れたかった城跡♪自害した城跡というのは、 ちょっと複雑だけど、景虎さんを感じられるのは嬉しい。 春日山城は随分前に訪れたけど、ここはようやく♪ ところで、管理されている方のおかげで、山城とはいえ 凄く散策しやすく、遺構も見えるようにされていてありがたい(^^) さて、城跡には堀切が多々あって、深い所はとことんって感じで、 見学が楽しい! 炭化した握り飯が、形を留めたまま出土したという三ノ丸、 眺望のいい本丸、大堀切経由で行く米倉跡等々、 魅力がいっぱいの城跡だった(^w^) 帰りは案内所に寄って、お茶とお漬物をご馳走になり、 炎の蜃気楼(小説)や城跡の話をしたりと、とても 楽しい時間を過ごさせて貰った(^^)ちなみに、城跡の見学時間は、 約1時間、+案内所での時間って感じ。 山城だけど、そこまで大変じゃなくてよかった♪

・・・鮫ヶ尾城は3ページにわたって紹介・・・  【1】 【2】 【3】  ■←モドル

【 新潟のもくじ 】 上へ
下にメニューフレームが出ていない場合の、top へは→ top に戻る