新潟県 新発田城 |
■新発田城=見学無料 (別名=舟形城、菖蒲城、浮舟城、狐尾曳ノ城) 公開日=9時〜17時(4/1〜11/30) ■新発田城址公園 駐車場=無料駐車場 (2010.7.30現在) |
住所=新発田市大手町6-4 この時は、村上市方面から新発田市方面へ国道7号を進み、 加治川を渡って、高浜入口信号を過ぎて、線路の上を通り、 島潟信号を国道290号へ左折。後は、新発田城の案内板に従って右折、 案内板通りに進むと右側に駐車場がある。 |
土橋門跡 | ||
---|---|---|
本丸を囲む帯曲輪の南西に位置する。この土橋門と帯曲輪、そして本丸の
表門及び鉄砲櫓により、櫓を併用した枡形門に等しい防御機能を持たせ
ていた。正保元年(1644)に作成された絵図面に確認する事ができ、これ
以前に創建されたものと考えられる。寛文8年(1668)3代溝口宣直侯の
時代にあった大火によって焼失したが、元禄13年(1700)までには再建
されたと考えられる。
(新発田城を愛する会の案内板より)
(右)土橋門跡。 (左下)本丸から。 (下真ん中)土塁と土橋(写真右)。 (右下)土橋門横の土塁。光が素敵! (右&右下=2006.7.30、左下&下真ん中=2010.7.30撮影) |
||
堀部安兵衛の像 | ||
赤穂四十七士の1人。新発田藩士中山弥次右衛門の息子で、母方の祖母は 藩祖溝口秀勝の娘だったが、13歳の時に中山家が断絶。家名再興のため 江戸に出て、高田馬場の敵討により名を挙げ、赤穂藩士堀部家の婿に。 ところで、この像は、表門向かい側の帯曲輪にいる。 (2006.7.30撮影) |
||
木橋跡 | ||
(左)表門に掛かる橋。案内板を見ると、木橋だったよう。(2006.7.30撮影)
(真ん中)鉄砲櫓跡(旧二ノ丸隅櫓)から。 (右)橋から表門横の石垣を。孕みが凄い!と 思ったら、2006年の写真も、同じだった(^^;) (他=2010.7.30撮影) |
||
表門 | ||
表門は、桁行9間(約16.3m)、梁間3間(約5.4m)で、
享保17年(1732)に再建された櫓門。腰回りは瓦張りの
海鼠壁。
(新発田市教育委員会の案内板より)
(左上)公開時間が終わり閉門。諦めきれない人達が 交渉中だった(笑) (上真ん中)本丸側から。写真右横の石段から内部へ。 (右上)本丸から。 (左下)大手門の内部入口&海鼠壁(模様っぽいやつ)。 内部は暗いのかな…と思ったら、格子から光 が入って、落ち着いた雰囲気だった(^^) (下真ん中)石落とし。 (右下)辰巳櫓復元模型。 (表門=全部2006.7.30撮影。) |
【 新潟のもくじ 】 | ■ 上へ ■ |