おかやまけん かんむりやまじょう
■冠山城=見学自由
※「境目七城」の1つ
(宮路山城
・冠山城
・高松城
・加茂城
・日幡城
・松島城
・庭瀬城
(撫川城 ) )
駐車場=無し
2009/4/30現在
住所=岡山市下足守
(近いのは、岡山自動車道 岡山総社I.C〜)
この時は、足守陣屋の後だったので、国道429号を南下して、
岡山空港方面と書かれた青看板がある信号(コンビニがある所)を左へ。
左側のこんもりとした小山が冠山城で、少しして左側の民家の間に、
登山口がある。ただ、こちら側からだと、登山口の案内板が見え辛いので、
見落としてしまう可能性大。足守一里塚遺跡まで来てしまったら、行き過ぎ。
■冠山合戦を偲ぶ…
天正10年4月17日冠山城は、織田軍2万、宇喜多勢1万に囲まれ、下足守の山や谷は陣馬で埋まった。
守りは、城主林三郎左衛門、祢屋七郎兵衛、松田左衛門尉、鳥越左兵衛、三村三郎兵衛、竹井将監、舟木與五郎、難波
惣四郎、岩田多郎兵衛、権寂和尚、祢屋與七郎、佐野和泉守、守屋新之丞、祢屋孫一郎、庄九郎、秋山新四郎など300騎、
総勢3600人で、羽柴秀吉の旗本杉原七郎左衛門、宇喜多忠家らと戦った。
城内より打ち出す銃火は激しく、また城兵には豪の者多く目覚ましい働きにより、寄せ手の犠牲は大きく、一時攻め倦んだ。
4月25日、不幸にして城内より出火し、火は燃え広がり、城中大混乱となった。
城主林三郎左衛門は、最早これまでと城兵に別れを告げ自決した。
竹井将監、鳥越左衛門、秋山新四郎、舟木與五郎、難波惣四郎、権寂和尚など将兵139人は、自刃或いは壮烈な討死を遂げた。
加藤清正一番乗りの功名話、荒武者竹井将監が加藤清正と激闘の後戦死したことなど、激戦の状況が戦史に詳しく伝えられている。
小山ながら難攻の冠山城も遂に落城した。林三郎左衛門は行年51才、備中の国を半国与えようという羽柴秀吉の誘いをも断り、
毛利並びに小早川隆景に義を貫いた。武士道に徹した冠山の城主及び将兵を心から称えたい。(冠山城址四百年記念事業奉賛会の案内板より)
【左】見る方向によっては、非常に分かりづらい案内板。
【真ん中】登山口から2分もかからず到着。すぐ先には二の丸。
【左】細い道。木漏れ日がいい感じ♪
【真ん中】二の丸からすぐ本丸。小高い土塁が見える。
【右】すぐ入口。
【左】こじんまりした本丸には、慰霊碑、祠、石仏、説明板が置かれていた。
【真ん中】南東側から。【右】折角なので。
冠山城 2009.4.30記
冠山城の登山口は、「ああ、アレだぁ〜。」なんて、行き過ぎてしまった(笑) ただ、確認は出来ても、車をとめるスペースが全く見当たらず、その辺をウロウロ。 足守一里塚遺跡には、会社があるから迷惑だろうなぁ…と断念。 車が安全なら、歩いて時間が掛かってもいいか…とコンビ○へ。 しかし、この時はトラックの往来が激しく、歩くのが怖かった〜(@@;) ちなみに、登山口から本丸まで数分なので、見学時間は短時間ですむ。 往復時間の方が掛かってるよね…なんて言いつつ戻った(笑) お腹がペコペコだったから、ここでお弁当を買って、お昼にしたのでした♪ ちなみに、コンビニから国道429号を少し北上し、北西方面に宮路山城と鍛冶屋城が見える。 コンビニから写そうかと思ったけど、建物が遮ってしまうので、ちょっと北に移動して写した(^^)