明治元年王政復古後間もなく奥羽列藩同盟が結成され、反政府軍が強化されつつあった際、蓮池藩にも新政府から出兵命令があり、 545名が伊万里楠久港から英国船に乗船し日本海を北上、秋田の船川港に上陸、転戦の後山形の坂田を警備、 1年と2日を経過して蓮池城に凱旋し帰ってきた。その時の戦死者6名である。 表の上部に横書きで忠武碑とあり正三位勲二等男爵船越衛(東北遊撃軍参謀長なりし人)の撰なる碑文、 裏に鍋島子爵、出征者或遺族、一般賛同人と刻してある。 明治37年5月建立、碑の前左右に石の円柱があり、 向かって右のものには出征者氏名を、左には賛同者氏名を刻し、永くその芳名を伝えている。(案内板より)
もと城原川の「お茶屋の井樋」(千代田町直鳥)から延々7km良質の水を蓮池まで引いた。
泉水の水もこれで、いつも綺麗で澄みきった池には鯉等が泳いでいた。
築山の樹木はいつも手入れが行き届き、泉水に栄える姿は京都の庭園を思わせる。
これは藩士で柔術家「野中十蔵」が明治10年に計画したものである。(案内板より)
■マリア観音の石像物…寛永14年(1639)島原天草のキリシタン教徒が蜂起した(島原の乱)若干23歳の直澄公は、
佐賀勢の総大将となり原城の攻撃にかかり戦功をあげた。その巧が認められ、支藩蓮池の初代藩主となる。
その戦のおり、島原から持ち帰ったと伝えられる。今なおその影像が微かに残っている。(案内板より)
【左】泉水、築山。
【真ん中】裏側。一部、石垣に。
【右】泉水、築山にあるマリア観音の石像物。
■南京櫨…樹齢250年以上、数年前新聞で佐賀県の名木10本に指定された。 樹高22m、幹回り180cm、おそらくこの種類の木では、日本一ではなかろうかとも言われていた。 平成3年9月の台風17号で惜しくも倒れたので、その残木で見事な火鉢やツイタテを作り公民館に保管してある。 根は未だに生きているので、その新芽を数本大事に育てている。(案内板より)
【真ん中】現在の公民館は東館の所になり、どことなく東館の造りに似ているそう。
【右】付近で。
【左】北側の道路から蓮池社。道路沿いに堀があった?
【真ん中】左側の写真右奥。堀っぽい…。
蓮池城 2013.6.22記
城跡としての見学というより、公園内の散策と言った感じ。
各碑や史跡に説明板が立つから、見ずにはいられない。
公園散策だけど、川で2つに分かれているので時間もかかる(^^;)
蓮池公園は、子供達にとって、釣りをするいい遊び場らしく、賑やかだった(^^)
ちなみに、見学時間は約25分。
(写真)可愛いなぁ♪と思って写したけど、暗くてシルエットっぽい感じになってしまったので、明るさを調整(^^;)
ツバメかな?