【左】南西方面で、右奥が櫓跡。
【真ん中】櫓跡。
【右】北西へ進み振り返って。
【左】一の曲輪(調馬場)との間から。凄い所に石垣が…。
【右】左下の写真の右奥。角度を変えても、格好いい!
【左】一の曲輪(調馬場)との間。
【右】右上の写真の曲輪上。
上からでは分からないけど、側面の石垣は本当に素敵。
二の丸は切り立った崖に囲まれている。 この崖の下には、二の丸を囲むように三の丸が広がっている。 二の丸と井戸曲輪の間には尾根を削って設けた堀切があり、 二の丸の岸壁には楔(くさび)を用いて、 石垣に使う石材を調達した跡が残っている。 (厳木町教育委員会の案内板より)
【左】三の丸から。巨岩の上が二の丸。
【真ん中】巨岩が続く!それにしても、どこから上がるの?
【右】南三の丸と二の丸(右の崖の上)。これだけ巨岩が続く道だと、威圧感を感じる(^^;)
【左】二の丸を主に。
【真ん中】巨岩の奥が堀切!
【右】井戸曲輪から二の丸・曲輪上を。
元々つながっていた井戸曲輪と二の丸の間を、 人為的に堀状に削った通路である。壁面にはノミで岩を削り取った跡が残っている。 (厳木町教育委員会の案内板より)
【左】井戸曲輪(左)と二の丸(右)の間の堀切。迫力がある!
【右】井戸曲輪から見下ろして。奥が二の丸。
井戸曲輪は本丸東に位置する平坦地である。 北側と東側には石垣を築き、南には本丸に通じる通路(大手道)が延びている。 井戸曲輪の東には堀切が造られ、井戸曲輪と対峙するように二の丸が広がっている。 また、調査により井戸曲輪と二の丸を結ぶ遺構を確認した。江戸時代初期に、 曲輪内を整地し、周囲に石垣をめぐらせ、石塁を設けて大手道を整備する等、 井戸曲輪の概観を大きく変えるほどの大改造であったと推察される。(唐津市教育委員会の案内板より)
【左】井戸曲輪への入口(右側)と大手道。
【真ん中】左の写真を本丸側から。
【右】井戸曲輪。