幅4m。(案内板より)
【左】左に見えるのは一の曲輪(調馬場)。
【真ん中】井戸曲輪南側下。
【右】本丸へ…。
【左】大手道を進んで虎口へ。 【右】振り向いて。
堅固な石垣や門を伴った虎口。廃城時には2度と使えないよう徹底的に破壊された。 (唐津市教育委員会の案内板より)
【左&右】獅子ヶ城址碑。石仏は写さず(^^;)
本丸は城主の居所で、城の中心となる場所である。 発掘調査で江戸時代の礎石建物跡や、複雑な形をした虎口と呼ばれる出入口を4ヶ所で確認している。 建物や虎口等の施設は城の中でも規模が大きく、堅固な造りで、 本丸が最も重要な場所であった事が分かる。 また、一部で桃山時代のものと思われる石積みを、現在の石垣の内側から検出している。 江戸時代初期に、石垣を用いて城を大改造し、現在の姿になった事が窺える。 (唐津市教育委員会の案内板より)
【左】本丸東側。写真右側が虎口。
【真ん中】桃山時代の石積み。
【右】搦手虎口から北側の石垣。
【左&真ん中】搦手虎口。本丸北西側の虎口。
【右】埋められた虎口。
■搦手虎口…非常に規模が小さいが、石段が敷かれ、門も取り付けていた様である。
■埋められた虎口…元々は虎口。虎口内を土で埋め、石垣で塞いでいる。(唐津市教育委員会の案内板より)
城内で最も長い約85mの石垣で出来た曲輪。 戦いに備えて、家臣が待機した建物が建っていたと伝えられている。 (唐津市教育委員会の案内板より)
【左上】細長い曲輪。足場が悪かった〜。
【上真ん中】石垣も少し見ることができた(^^)
【右上】井戸曲輪から見下ろして。
【左】調馬場から見る一の曲輪の石垣は格好いい!
【左下&右下】南三の丸側から。こちらから見ると、暗い所からふわっと明るい石垣が見えて素敵♪
石垣の下側が調馬場。それにしても、凄い斜面だった…。
一の曲輪の南側には、軍馬を訓練した調馬場があったようである。(厳木町教育委員会の案内板より)
【左】石垣の上部が一の曲輪、下側が調馬場。
【真ん中】南三の丸側から。
【右】一の曲輪から。