【川越城 その3】
・・・川越城は3ページにわたって紹介・・・
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川越城の七不思議 |
1・霧吹(きりぶき)の井戸
城中に苔むした大きな井戸があった。普段は蓋をしておくが、
万一敵が攻めて来て、一大事という場合には、この蓋を取ると、
中からもうもうと霧が立ち込めて、城は敵から見えなくなったという。
その為、川越城は別名、霧隠城(きりがくれじょう)ともいわれる。
2・初雁の杉
川越城内にある三芳野神社の裏には大きな杉の老木があった。
いつの頃からか毎年雁の渡りの時期になると時を違えず飛んで
きた雁は、杉の真上まで来ると三声鳴きながら、杉の回りを
三度回って、南を指して飛び去ったということである。
その為、川越城は別名初雁城ともいわれている。
3・片葉の葦
浮島稲荷社の裏側一帯は、萱や葦が密生した湿地帯で、
別名「七つ釜」といわれていた。ここに生える葦は
不思議な事に片葉であって、次のような話が伝わっている。
川越城が敵に攻められ落城寸前に、城中から姫が乳母と逃げのび、
ようやくこの七つ釜の所までやって来たが、足を踏み外してしまった。
姫は、川辺の葦にとりすがり岸に這い上がろうとしたところ、
葦の葉がちぎれてしまい、姫は葦の葉をつかんだまま水底へ
沈んでしまった。この辺の葦は、この姫の恨みによってどれ
も片葉であるといわれている。
4・天神洗足(みたらし)の井水(せいすい)
太田道真・道灌父子が川越城を築城するに当たって、堀の水源が
見つからず困っていたところ、一人の老人が井水で足を洗っているのに
出会った。この老人の案内によって水源を見つけた道灌は、
かねての懸案を解決し、難攻不落の川越城を完成させることが
できたといわれている。かの老人の気品に溢れた姿に気が付いた
道灌は、これぞまぎれもない三芳野天神の化身であったかと思い、
以来これを天神洗足の井水と名付けて大事にし神慮にこたえたという。
5・人身御供
川越城築城の際、太田道真・道灌父子は、三方(北、西、東)
の水田が泥深く、築城に必要な土塁がなかなか完成せず
苦心していたところ、ある夜龍神が道真の夢枕にたって
「明朝一番早く汝のもとに参った者を人身御供に差し出せば
すみやかに成就する」と言った。道真は、龍神にそのことを
約束をしたが、明朝一番早く現れたのは、最愛の娘の世禰
姫であった。さすがの道真も龍神との約束を守れずにいると、
姫は、ある夜、城の完成を祈りながら、七ツ釜の淵に身を投げてしまった。
そののち川越城はまもなく完成したという。
6・遊女川の小石供養
1)....昔、川越城主にたいそう狩の好きな殿様がいて、毎日のように
鷹狩りに出かけていた。ある日、供の若侍が小川のほとりを
通りかかると、一人の美しい百姓の娘に出会ったので、名前をたずねると
およねといい、やがてこの娘は縁あって若侍の嫁となったが、姑に
いびられ実家に帰されてしまった。およねは自分の運命を悲しみ、
夫に出会った小川のほとりで夫が通りかかるのを待っていたが、
会うことができず小川の淵へ身を投げてしまった。やがてこの川
を「よな川」と呼ぶようになったが、川の名は「およね」から
きているとも、よなよな鳴く声が聞こえるからともいわれている。
2)....武士の家に嫁いだ百姓の娘「およね」は大切なお皿を
割ってしまい、いつも以上に姑に叱られた。およねは遂に川に
身を投げてしまった。それを知った夫もたまりかねて、身投げを
してしまったそうだ。その後人々は2人を哀れに思い、小川に
石を投げた。するとそれに答えるかのように、川底から泡が
浮いてきたということである。その小川を「およね川」という
ようになり、いつしか「よな川」と呼ぶようになったという。
7・城中蹄(ひづめ)の音
川越城主酒井重忠は、不思議な事に夜毎矢叫(やたけび)や
蹄の音に眠りをさまされていた。
ある日、易者に見てもらったところ、城内のどこかにある戦争の図が災い
しているとの卦(け)が出たので、早速土蔵を調べたところ
堀川夜討の戦いの場面を描いた一双の屏風絵が出てきた。
この屏風の半双を引き離して養寿院に寄進したところ、
その夜から矢叫や蹄の音が聞こえなくなったという。
(川越市の案内板より)
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