【左】苔むした石に建つ城址碑。
【真ん中】結構歩かせてくれる石段(笑)
【右】坂崎氏以後亀井氏の代には大手門。
【左】手前の草の生い茂った部分が帯曲輪で、その上が二の丸。
【右】二の丸、二の丸の石垣は危険なのか、シートや網が。
写真だと反射がきついけれど、3段の石垣が見えるかな…?大きな石垣に気持ちよさを感じる(^^)
馬立跡は細長く、奥に広くなった所に台所跡(^^)案内板のような建物がここにあったとは!
津和野城は関ヶ原合戦(1600)の戦功により津和野藩主として入部した坂崎出羽守(1601〜1616)によって、 山頂に高い石垣を積んで築かれた近世山城。 石垣の石材はひん岩と石英閃緑岩で、約3km北方の寺田地区や枡ヶ峠(ますがたお)の青野山トンネル付近で採石して運び上げたものである。 特に、天守台の石垣は壮麗な石英閃緑岩で築かれ、大きい石は2トンを超えるものもある。 坂崎氏は有名な千姫事件で1616年に断絶となり、亀井家2代亀井政矩が津和野藩主として入城した。 それから約250年間、亀井氏が11代にわたって居城とした。 その後、1873年(明治6年)の城郭存廃決定(廃城令)によって建物は解体されたが、急峻な山頂に築かれた豪壮な石垣が当時を偲ばせる。(案内板より・絵図も)
【右】格好いい〜♪
【左】本丸より低い位置の天守台跡から三十間台(本丸)の石垣を見る。
【右】上から。石垣の角が分かる(^^)
【左】三十間台(本丸)の石垣を見つつ太鼓丸へ…。
【真ん中】太鼓丸への虎口。
【右】太鼓丸。天守台跡の方は鬱蒼とした感じだけど、太鼓丸へ出ると、パーッと視界が開けて気持ちいい!