【浜松城 その3】

・・・浜松城は3ページにわたって紹介・・・  【1】 【2】 【3】  ■←モドル

清水曲輪
(左)埋門から出て、振り返ったもの。 (右)トイレの壁には、市庁舎建設の際に、 出土した歴代浜松城主の家紋が♪
(左)清水曲輪の長い土塁は、見てて気持ちがいい。  (真ん中&右)南から。鯱の上に、カラスが(^w^)
作左曲輪
一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥せ」と 長篠での陣中より妻にあてた手紙で有名になった 本多作左衛門重次(ほんだ さくざえもんしげつぐ…1529〜1596)が住んでいた所である。 重次は、徳川家康の祖父清康の代より仕えた老臣である。 家康の三河経営では高力清長(こうりき きよなが)氏、 天野康景(あまの やすかげ)氏とともに三奉行の1人として 活躍し、「鬼作左」とも呼ばれていた。元亀3年(1572)12月の 三方ヶ原の戦にも家康に従い、手柄を立てた。 作左曲輪のいわれについては、次のように伝えられている。 三方ヶ原の戦の時、家康は重次を呼んで、もし城が武田軍の重囲に 陥り長期戦となったら、どうしようかと兵糧について尋ねた。 重次は、米は十分貯蔵してあると返事をした。 家康は非常に喜んでその時の米蔵の位置へ重次の屋敷をつくる ことを許した。天正7年(1579)には、この屋敷に城柵を設け、 城の搦手とし、「作左曲輪」と呼んだという。 作左曲輪は、名残の組屋敷へ続き、永く浜松城の西北の 護りとなっていた。 現在、この付近には浜松城公園、浜松市立中部中学校があり、 今でも「作左」「作左山」と言われ人々に親しまれている。 (案内板より)    (右)浜松城公園前交番もお城の形(^^)
日本庭園
無料で見学ができる日本庭園。入ってみる?なんて軽い気持ちで 入ってみたら、とても素敵な庭園だった(^^)
(左)中の池の滑滝。  (真ん中&右)上の池と大滝。 この庭園の中心といえるもので、滑滝と対をなすんだとか。
(左)東屋。家康の居住した浜松城を意識して作られているそう。  (真ん中)素敵な敷石。  (右)北門。
(左)木橋から下の池を。  (真ん中)まさか、こんなにきれいな 桜を見れるとは思わなかったなぁ!  (右)東門。
下の池と木橋と桜。枝垂桜だから、どの角度からも素敵(≧▽≦) この時期に来て、本当に良かった!!

■浜松城…2009.3.21記
前回、城巡りし始めた頃の見学だったので、 今回はいろいろと回って見ることに。 初めて歩く所が多く、こんな感じだったのかな?なんて、 楽しかった(^^)改めて見る石垣も格好よかったし、 日本庭園の桜も素敵で、改めて来て良かった〜♪そういえば、 以前は、ホテルコンコルド浜松の手前に体育館があったのに、 無くなっててビックリ(@@)案内板に計画地と表記していたので、 また変わるのかも…。
(写真=以前、体育館があった所。)
■浜松城…2003.9.14記
風が強くて大変だったけど、 中央芝生広場のベンチで、うなぎの蒲焼弁当を食べた(^^)♪ が!歯茎と歯の間に骨が刺さった(@□@)! あまりの痛さに、帰る道中、ピンセットを買って取ったけど、 ズグン、ズグンとうずいて…(TへT)骨には注意‥‥!

・・・浜松城は3ページにわたって紹介・・・  【1】 【2】 【3】  ■←モドル

【 静岡のもくじ 】 上へ
下にメニューフレームが出ていない場合の、top へは→ top に戻る