【久能山東照宮 その2】

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日枝神社側の門(透塀) 拝殿と本殿 拝殿(正面)
唐門は通り抜けが出来ないのでここから。 拝殿と本殿の間が、一段低い石ノ間という部屋で、 繋がっているのが特徴。
本殿(左側) 本殿(右側)&周りの透塀 拝殿の龍
青い唐獅子が描かれていた本殿(^^)周りには、透彫の 装飾がされた透塀があって、両面が違うというのが驚き!
透塀(透彫のいろいろ)
何か見つけて、グルル…って唸ってるような、 パァッと嬉しそうに笑っているような、 愛嬌がある唐獅子が可愛い(^^)
右上の鶴以外にも、ん?と振り返っている鳥、 デロ〜ンと長い鳥、仲睦まじい鳥、等々他にもいろいろ見れて楽しい♪
唐門(外側&内側&上部)
外側は落ち着いた雰囲気で、 唐破風の下の青い部分が刺し色になっててきれい! 一方、内側はかなり華やか(^^)
内側から左&右の透彫の「花鳥」と「牡丹に唐獅子」。 ←阿吽になってた。それにしても、左の唐獅子楽しそ〜う(^m^)
大蘇鉄 金の成る木
樹齢650年。幹の太さ2m。
よく実を結ぶ。(案内板より)

  四方八方に伸びてて、力強い(^^)
650年という事は、見学した中では、 1番ここを知っているということかな。
家康公にまつわる多くの遺話の中に「金の成る木」がある。 これが左側の杉の大樹がふさわしいかと思われる。 この杉は、3代将軍家光公当時に、植樹されたものといわれ、 約350余年を経ている。 家康公が諸人達に「金の成る木」を問わせられた。 これには誰も知らず、公は自ら筆を把られて、3本の 木を描き「よろづ程のよ木」「志ひふかき(慈悲深き)」 「志やうぢ木(正直)」と書かれて、これを常々信用すれば 必ず富貴を得られようと仰せられた。 後、細川三斎忠興公が、これに左右の枝にとお添え遊ばしては となり「あさお木(朝起)」「いさぎよ木」「志んぼうつよ木」 「ゆだんな木」「ようじょうよ木(養生)」「かないむつまじ木」と。 左右の枝が繁昌するならば、一段と富貴を得られよう。 皆々この「金の成る木」を写し取って、家内のものに 教えるようにと、命ぜられたという。(案内板より)
移設された廟所の「添石垣」 神廟
廟所の石垣は、元和3年(1617)の久能山東照宮造営時に 築かれたが、年を経て崩落の恐れが生じた。 このため、天保4年(1833)、廟所宝壇西側の石垣の一部に、 「添石垣」を設けて、石垣を二重にし、当初の石垣の崩落を 抑えてきた。 久能山東照宮社殿などの修復事業に当たって、 廟所の石垣について創建当時の景観に復することとした。 (久能山東照宮の案内板より)
久能山東照宮博物館 旧宝物館(?) 石段を振り返って
博物館の徳川慶喜公の書に一目惚れ(*^^*) そういえば、旧宝物館?に、建物跡と 礎石があったけど、なにかな?
一ノ門(大手門跡) 景色(駿河湾) 表参道石段
ここからの眺めがとってもよくて、気持ちいい(≧▽≦)  ロープウェイで帰るので、石段は上から見るだけで(笑)

■久能山東照宮
こじんまりとしていて、色が鮮やか。平日の昼間だからか、日光 東照宮と違って、静か。楼門ですれ違っただけで、他は 誰もいなかったくらい。見学後、自衛隊隊員がいっぱいいて、 ビックリしたけど(笑)そういえば、楼門の狛犬。なんで、角が あるんだろう。反対側は獅子と呼ぶらしいし、面白いなぁ〜。 透塀等の唐獅子の表情も好きだし、いろいろな鳥の彫刻も、 見ていて飽きない。博物館では、慶喜公の書に見入ったり、 海の青さに癒されたり、大満足の見学ができた♪

(写真)博物館付近の石垣。右側は修復されてるけど、 ここはかなり孕んでる!昔からの物なのかな。

(別ページ。各クリック→  久能山城日本平 )

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