太鼓御門は、三ノ丸入口に位置する城内の重要な櫓門で、中ノ御門を通って登城した家臣は、次にこの太鼓御門を通って二ノ丸、三ノ丸の御殿に上がった。 現在に伝わる絵図には、向かい側の石垣へ渡し懸けた御門が描かれている。 門の渡櫓は、桁行十二間(約22m)、梁行二間半(約4.5m)の規模を持つ堂々としたものである。 太鼓御門の名は、城の内外に時刻を知らせる為の太鼓が置かれていたことに由来する。 藩政時代に著わされた「鳥府志」には、「太鼓御門の渡櫓の上」に「大鼕(おおどう)」があって「昼夜十二時」を打ったとある。 賀露神社、名和神社、美保神社には、鳥取城で使われていたという伝承を持つ大太鼓が保存されている。 石垣修理にあたって石垣下部を調査したところ、門柱の礎石や、高熱を受けて赤く変色した石垣の一部が見つかっている。 石黒火事と呼ばれる享保5年(1720)の大火は、城下だけでなく城内の殆どの建物も焼いたといわれている。 この説明板の下に残る赤く変色した石垣は、この火事で太鼓門が炎上した時のものと思われ興味深いものである。(文部省・鳥取市教育委員会の案内板より・絵図も)
【左】中ノ御門から進んで太鼓御門跡へ。正面が太鼓御門櫓跡。(2009/8/9撮影)
【真ん中】もう少し奥へ入ると、右にも石垣が♪(2009/8/9撮影)
【右】太鼓御門櫓跡。(2009/8/9撮影)
【左】太鼓御門跡を上から。(2009/8/9撮影)
【右】二ノ丸の菱櫓から見下ろして。
【左】三ノ丸跡には高校。
【真ん中】太鼓御門跡から。写真左に三ノ丸の標柱が立ち、こちらにも石垣があった(^^)(2009/8/9撮影)
【右】二ノ丸方面への石段。奥の方の石垣が天球丸。(2009/8/9撮影)
【左】中ノ御門跡。
【真ん中】橋のたもとにあるもう1つの「鳥取城跡附太閤ヶ平」碑。
【右】内堀で、せっせと毛づくろい中♪
【左】(切り取り加工)中ノ御門跡に向かって左側。(2009/8/9撮影)
【左下】右。吉川経家公像方面。(2009/8/9撮影)
【右下】吉川経家公像の所から。(2009/8/9撮影)