トロとまったり・tripのページ(松山城 その2)

南東から上がって…

【左】乗り物に乗って、本丸下へ到着すると、ど〜んと高石垣が!!あまりにも大きくて圧倒される(@@)
【右】左の写真の右側を見ると巽櫓が♪

揚木戸門跡

慶長年間、松山城創建のはじめは、ここに門があり西の大手門とともに、大手の入口の重要な拠点となっていた。(案内板より)

【左】この石垣を見つつ、揚木戸門跡方面へ。
【真ん中】揚木戸門跡。
【右】大手門跡側から振り返って。写真右側の石垣が暗いな…。

【左】大手門跡側から。礎石が見られる(^^)
【右】そばの高石垣上の櫓は、隠門続櫓。

大手門跡

慶長年間、松山城創建とともに築城され、山麓二の丸及び堀之内(三の丸を含む)へ通ずる重要な構えであった。(案内板より)

【左】内側。
【真ん中】外側から。
【右】外側から右側の石垣を。この角度からの反り具合が素敵。

待合番所付近
太鼓櫓と中之門跡
武者走り?

【左】待合番所跡から右に折れて、太鼓櫓と石垣が素敵な道へ♪
【真ん中】太鼓櫓手前を右に行くと戸無門。この角度だと、道ある?って感じ。
【右】真ん中の写真左側の石垣。崩れているだけとか…(^^;)

戸無門

本丸大手の重要な固めである。 慶長年間に建造された高麗門であり、昭和10年に国宝に指定されたが、法の改正により重要文化財となった。 登城U字屈折の終点に位置する。昔から門扉が無いので、戸無門と呼ばれ、鏡柱にも扉を取り付けた痕跡が無い。(案内板より)

【左】太鼓櫓の石垣手前から、Uターンするように進む戸無門。
【右】内側から。奥に見えるのは太鼓櫓。

【左】戸無門。
【真ん中】写真右側の筒井門側から。
【右】戸無門と筒井門を。

筒井門

慶長年間築城に際し、正木城(松前城)から移されたと伝えられ、脇戸附の櫓門で、松山城最大の門である。 昭和10年国宝に指定されたが、昭和24年2月に焼失した。 昭和42年から3年に石垣の修理を行い、昭和46年3月に櫓門を古い資料に基づいて復元した。 三之丸・二之丸から本丸へ向かう、大手の正面の固めを構成する重要な門で、城中で最も重要かつ堅固な所となっている。(案内板より)

【左】写真左が戸無門、中央が筒井門と筒井門西続櫓、木で隠れ気味が筒井門東続櫓、その右奥に隠門がある。凄い!
【右】内側から。筒井門と筒井門西続櫓。

【左】正面から。
【右】(パノラマっぽく加工)この付近からの眺め。

筒井門西続櫓&筒井門東続櫓

【左】戸無門の左上が、筒井門西続櫓。
【真ん中】筒井門西続櫓と筒井門東続櫓。
【右】筒井門右側が筒井門東続櫓で、その右に木で隠れ気味の隠門がある。

【左】内側から。
【右】写真左側の隠門と隠門続櫓と一緒に(^^)

隠門(かくれもん)

この門は、筒井門の奥の石垣の陰に隠された埋門形式の櫓門で、戸無門から筒井門に迫る敵の背後を急襲する構えとなっている。 脇戸をもたず、扉の鉄板張りの中に潜戸を仕組むなど規模は小さいが、豪放な構えで、 続櫓外部の下見板張りや、格子窓形式の突揚げ戸などとともに、築城当時の面影を見ることが出来る。 慶長年間の建造物といわれ、松山城郭の櫓門の中では最も古いものの1つである。 昭和10年国宝に指定されたが、昭和25年法の改正により、重要文化財となった。 なお、昭和46年及び59年・60年に修理が行われた。(案内板より)

【左】筒井門東続櫓の奥に、不自然な石垣があるなぁ…と思ったら、門が!
【右】外側から。

【左】正に隠門だなぁ(^^)
【右】内側から。こんな風に見ると普通だけど、横と下から見る隠門続櫓は様相が違っていて面白い。

隠門続櫓

【左】筒井門東続櫓側から。
【真ん中】手前が隠門続櫓、右側が筒井門東続櫓、筒井門西続櫓。
【右】揚木戸門跡付近から見上げて。高石垣過ぎる所の櫓が、ここだったのか!と再び驚き!

【左】屋根が面白い!
【右】揚木戸門跡付近から。角度を変えて高石垣と(^^)

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