トロとまったり・tripのページ(松山城 その7)

野原櫓

本丸の西北方および北側を防衛する重要な二層櫓で、騎馬櫓ともいわれた。 慶長年間の建造物で、その構造は戦国時代における望楼の面影を偲ぶ遺構として注目される。 昭和10年国宝に指定されたが、昭和25年法の改正により重要文化財となった。 昭和26年及び59年、60年に修理が行われた。(案内板より)

【左以外】南隅櫓内から。【右】野原櫓の左側は乾門等。

【左】北側から。石垣の反り具合が格好いい(≧▽≦)
【右】北側から。高石垣上の野原櫓は格好いい♪奥に見えるのは乾櫓。ため息が出るほど、石垣が美しい!

乾門東続櫓

乾門に続く櫓で、単層入母屋造の隅櫓。石落し附きで、搦手の中で重要な構えをなしている。 慶長年間築城の際、正木城(松前城)から移建されたといわれる。 昭和10年国宝に指定されたが、昭和20年7月に戦災の為焼失。 昭和57年11月に古い資料に基づいて復元された。(案内板より)

【右】紫竹門西塀から、乾門東続櫓東折曲塀、乾門東続櫓、乾門、乾櫓を。

乾門・乾門東続櫓 // 乾門東続櫓東折曲塀

【左】乾門と一緒に乾門東続櫓。
【右】乾門東続櫓下から乾門東続櫓東折曲塀を。
塀の折れだけじゃなく、ここからのアングルがとにかく素敵(≧▽≦)

乾門

搦手の中で最も重要な構えをもつ脇門附きの櫓門である。慶長年間築城の際、正木城(松前城)から移建されたといわれる。 昭和10年国宝に指定されたが、昭和20年7月に戦災の為焼失したので、同57年11月に古い資料に基づいて復元された。(案内板より)

【左】外側。【真ん中】内側から。【右】乾門復興記念碑。

【左】桝形を。【右】乾門側から桝形。

乾櫓

乾一ノ門・乾門とともに搦手を防衛する重要な構えをもつ二重の隅櫓で、本丸の西北隅に位置したのでその名がある。 慶長年間に正木城(松前城)から移建されたと伝えられ、城郭の中で最も古い建造物の1つである。 昭和10年国宝に指定されたが、昭和25年法の改正により重要文化財となった。 昭和39年及び59年、60年に修理が行われた。(案内板より)

【左】野原櫓の下から乾櫓。
【右】北側なんてビックリ!!高石垣が続く〜(@□@)

乾一の門跡

【左&真ん中】乾門を出て、乾櫓南西へ進むと、門跡と北側への道がある。
【右】北側への道。

【左】北側への道から乾門方面。
【真ん中】左の写真の右側の石垣。北側への道から横を見ると、奥の石垣も見えていい感じ♪
【右】左の写真の反対にも石垣。

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