トロとまったり・tripのページ(松山城 その6)

天守群

【左】左より小天守、大天守、二ノ門南櫓。
【右】小天守と大天守。気がもどかしい(^^;)

小天守

天守に次ぐ重要な二層二階の櫓で、大手・搦手を防衛する絶好の位置にある。 純白の外壁が天守の黒塗の板壁と対比して美しい。慶長年間創建当時は、着見櫓といわれていた。 天明4年(1784)雷火の為に焼失、安政元年(1854)に再建されたが、国宝に指定される直前の昭和8年に放火によって焼失した。 昭和43年5月、昔日の姿に復元された。(案内板より)

【左】小天守を見上げて。 【真ん中】一ノ門から小天守。 【右】筋鉄門東塀から。

【左】南西側から石垣と♪手前に南隅櫓がある。
【右】天守から。小天守左側は、筋鉄門。

大天守

慶長年間、加藤嘉明が松山城郭を創建した当時、天守は五層であった。 寛永19年(1642)に、松平定行が三層に改築したが、それから約140年のちの天明4年(1784)に、雷火のために焼失した。 その後、70年を経て安政元年(1854)に、天守の復興工事が完成した。これが現存のもので、三重三層地下一階附の建造物である。 昭和10年国宝に指定されたが、昭和25年法の改正により重要文化財となった。昭和25年、43年及び59年、60年に修理が行われた。 現存12天守の中で、唯一、築城主として瓦には「葵の御紋」が付されている。(案内板より)

【左】北東側から。左下は三ノ門。 【右】内門と筋鉄門との桝形から。

天守内へ

■穀倉(こくそう)…天守の地下一階にあたり、俗に米蔵という。 内部に防腐力の強い樟材を使用し、床に素焼きの煉瓦を敷いて湿気を避けている。 平面積89.25uで、約2千俵の米を収蔵せられる。現在は、天守入口に使用されている。(案内板より)

■天守…天守最上の三階は、一階からのびた通し柱が側柱となっている。 入母屋屋根をのせるため、天守は屋根数と階が一致し、上層階になるにつれ、徐々に面積が狭くなっている。 三階内部は梁間三間、桁行四間の柱を建てて中の間とし、床の間を設けている。 外周の武者走りにも竿縁天井が張られ、四方に設けた窓の外には、廻り濡縁及び高蘭(てすり)が廻らされている。 外観は、南北は一重に千鳥破風、二重に唐破風、東西には一重二重とも千鳥破風が重ねられている。 天守をはじめ連立する小天守、南北両隅櫓の大棟の両端には、瓦製の鯱が据えられ威容誇っている。(案内板より)

【左】天守三階。
【真ん中】天守三階の床の間。
【右】天守二階。モニターを見る時間が無かった…(^^;)

この列の3枚は「?」だらけ(^^;)
【左】北隅櫓? 【真ん中】十間廊下? 【右】多聞櫓?

【左】小天守内。 【真ん中】小天守の文字が。
【右】天守再建当時の大工が描いたらしい侍の似顔絵(落書き)(^m^)

天守からの景色

【パノラマっぽく加工】北側。 中央のグランドのビルは松山大学、右寄りのグランドの右側が愛媛大学。

【パノラマっぽく加工】東側。 中央の小山が、湯築城跡でもある道後公園で、写真左側方面に道後温泉本館がある。

【パノラマっぽく加工】南側。 左から薄く見えるのが、皿ヶ峰連峰。 市街地の左から右に緑がのびているのは石手川。

【パノラマっぽく加工】西側。中央は、松山総合公園。中央から右側の△は興居島。その手前辺りが、三津浜港。

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