トロとまったり・tripのページ(大洲城 その4)

天守

明治維新後、幕藩体制が崩壊し、明治21年(1888)に天守は取り壊された。 4層4階の天守は、明治期の古写真や「天守雛形」と呼ばれる江戸期の木組み模型など豊富な資料をもとに、 平成16年(2004)に木造で復元したもの。(案内板より)

【左】二の丸北曲輪からのアングルが格好いい(≧▽≦)
【右】本丸から。

天守の急な階段
急勾配注意
ご注意くだされ!

洒落た注意書き(^^)若いお姉さんが、一生懸命撮ってた(笑)
確かに、ちょんまげの方って、ぶれるんだよねぇ(^^;)

天井
吹き抜け

【左】天井を見上げると、端っこに何か描かれた物が、置かれていた(^^)
【真ん中】この鯱は、天守の屋根の物と同じ瓦製で、市立博物館に残る寛文5(1665)年製の鯱を参考に製作された。(説明板より)
【右】天守の内部構造を知る手がかりとなった天守雛形も、 この部分が吹き抜けになっているそう。

大洲城築城ジオラマ

今にも動き出しそうな感じな雰囲気。なるほど、こんな風に作られたのか〜なんて、見てて面白い(^^)

天守や高欄櫓からの景色・西〜北西

パノラマっぽく出来ないのが残念だけど、見渡すとこんな感じで、一際目立つ高い建物の手前に外堀があって、その手前が(グランドみたいな所)三の丸武家屋敷跡。 その右のクランクっぽい道が、川だったとか(^^)

【左】西側の案内板。
【真ん中】(切り取り加工)上真ん中の写真の拡大で、三の丸武家屋敷跡と川跡、外堀跡、内堀跡を。
【右】内堀しょうぶ園が内堀跡。

南側の景色

【左】(切り取り加工)高欄櫓からの景色。三の丸武家屋敷跡や二の丸大手曲輪、二の丸御殿跡等。中央やや左に同じ様な家が並ぶ所が内堀跡で、その上の方に見えるグランドが外堀跡。 そこに、三の丸南隅櫓がある。
【下2枚】南側の案内板。今昔がわかると面白いな(^^)

東南の景色

【左】天守からの景色。冨士山(とみすやま)がいい感じ♪
【右】(切り取り加工)屋形船がいっぱい!ここで鵜飼が行われるそう(^^)

三の丸南隅櫓

大洲城は、地蔵嶽・亀ヶ岡城・大津城等と呼ばれ、元弘年間以後は、宇都宮氏8代の拠点であったが、その後、戸田・池田・藤堂・脇坂・加藤の諸氏が城主となった。 現在に連なる近世城郭として建造整備されたのは、藤堂・脇坂両氏が城主であった慶長年間とみられている。 元和3年(1617)加藤貞泰が領主として米子より入部し、以後、廃藩まで加藤氏13代の居城となった。 城は、丘陵の上部を本丸として、東に肱川、北に久米川、西と南は堀を巡らしているが、その外側南部の守りの要として南隅櫓を明和3年(1766)に築造した。 櫓は、二重二階櫓、本瓦葺となっており、内部は一室である。出窓は無く、外部両端に袴腰形石落としがあり、内部は総壁である。 窓格子は化粧とし、軒たるきは忠実に塗籠めにしている。昭和40年(1965)に解体修理を行った。(大洲市教育委員会の案内板より)

大洲城 2007.8.15記

今回は、私の親との4人での見学。しかも、宇和島城を見回った後だったから、ヘトヘト状態。 それでも、飲み物を調達し見学へ。有料駐車場からすぐに、櫓下御門跡の石垣があって、おおっ!と思わせてくれる(^^) その先に、高い石垣の上に天守などが見えるから、疲れが少し癒される…気がする(笑)ここは、「〜跡」の説明板が立っていて、凄〜く分かりやすい。 古絵図で位置も示してくれるから、昔の場所を感じられて面白い! 天守は平成16年に復元されたものだけど、天守雛形や古写真とかを基に作られているものだから、見れて嬉しい♪ 両脇にある櫓は現存だけど、妙に新しく見えてしまう(笑)この櫓は天守と連結しているから、室内見学は一度に見て回れる(^^) 景色も、昔と今の縄張を示す案内板があって楽しい。疲れた体を鞭打って、見学しまくったのだけど、その頃の親は、本丸のベンチで涼んでいた。 母に「汗くらい拭きなさい。」と言われ、汗ばんでいたことも忘れていた私(^^;)疲れ過ぎ…。 その後は、三の丸南櫓まで行く気力が無く、だんにゃが撮影しに行き、私は駐車場へ戻り、大洲市民会館の横から苧綿櫓へ(^^) 三の丸南隅櫓は、壁が剥がれている無残な姿で、ちょっとかわいそう(^^;)…と、こんな感じで、ヘトヘトの中の大洲城の見学は終了〜(^^)