【金山城 その2】

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馬場下通路説明板より
物見台下土橋から竪堀までの間には石敷きの通路が発見された。 この通路は防御上、土橋から見通せないように曲がった通路と なっている。通路は、竪堀にかかる木橋方向と、堀底へ下りる階段へ 分岐している。 石敷き通路の南側には、谷側からの敵に備えて 通路を隠すと共に、 敵を威圧する為の土塁石垣が通路に沿って約22m設けられていた。 なお、土塁石垣の中央部は、石垣の崩れた状態で整備している。 (写真=土塁石垣調査時 西より)
土橋
土橋左側 石敷き通路
竪堀 竪堀の石段から振り返る
竪堀から木橋 木橋を振り返る
土橋を渡って先を見る。 木橋から馬場下通路へ。 竪堀横の土塁石垣
馬場下通路説明板より
↑馬場下通路跡石建物址調査時
         (東より)

木橋の東側では、石敷き通路が岩盤斜面を登って物見台から 馬場曲輪へ通じる通路へと合流する。また、この通路は東端で 行き止まりになっており、通路に面して建物の礎石や岩盤を くり抜いた柱穴が発見され、この狭い通路沿いに2棟の建物が 存在していた事がわかった。いずれも建て替えが行われており、 最終時期の建物位置を表示している。 この馬場下通路には、敵兵の防御と攻撃の為の工夫が各所に見られる。

     馬場下通路掘立建物址柱穴(東より)→
礎石建物址 掘立建物址
岩盤斜面際の礎石石列は、発掘調査で確認された実物である。
(柱間の木材は、補強のため整備上取り付けたもの。)
岩盤をくり抜いて柱を建てた簡易な建物址。
物見台、大手口馬場へ続く石段 掘立建物址から馬場曲輪を見る 馬場曲輪の石垣
馬場曲輪の説明板
物見台から、東に向かう通路は、北斜面際の石敷き通路を経て、 馬場曲輪へと至る。 馬場曲輪の調査では、岩盤をくり抜いた柱穴が240個以上見つかり、 位置関係から建物や柵列があった事がわかった。また、建物は 少なくとも5回の建て替え、曲輪の生活面は3回の造成があり、 頻繁に造り替えを行っていた事も明らかになった。 廃城時期の馬場曲輪における、建物3棟のうち両側の2棟は 平面表示とした。また、中央の1棟は柱穴の位置を利用して、 新たに四阿を建てた。そのほか、曲輪の中央部分に 石組み排水路、曲輪全体を囲む柵列の存在も明らかとなり、 あわせて整備した。
  @馬場曲輪柱穴調査時(西より)     A石組み排水路調査時(東より)     B馬場曲輪南側調査時(西より)
C馬場曲輪上下2段の石垣調査時(南より) D馬場曲輪石階段(南より)E弧を描く根石列と小さな曲輪   ↓四阿
四阿左側&右側の建物址 排水路跡
排水路跡 馬場曲輪上下2段の石垣
大堀切(三の丸下堀切)
敵兵が尾根づたいに進攻してくるのを防ぐ為に 造られた堀切は、山城にとって一般的な防御施設である。 特にこの大堀切は、金山城の中でも最も主要な防御拠点である 大手虎口の目前にあるため、長さ約46m、掘り幅約15m、深さ約15m と大規模に造られている。 発掘調査の結果、この大堀切は尾根を形成している岩盤を深く 掘り下げ、堀底は平らに削られていることがわかった。
また、堀底には長さ約7m、高さ約1.5m、幅約1.8mの石積みで 出来た畝状の防御施設が1ヵ所見つかった。
堀底が平らになっていることで、敵兵の侵入経路にならぬよう、 障害物として造られたものであると考えられる。
@尾根を深く掘り下げて造られた大堀切   A敵の侵入を阻む為に造られた     B上部と中央が破壊された状態
                           石積みの防御施設             で見つかった。
馬場曲輪から見た石積み 大手口馬場下堀切 フェンスの向こう側
上から見るとよく石積みが見える。 馬場曲輪の下にある(フェンス近く) フェンスの向こうはこんな感じ。

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