【金山城 その4】

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土塁石垣
関東地方の中世戦国期城郭では、土手のように土で築く土塁が殆どだが、 金山城の土塁は石垣で造られているのが特徴。 三ノ丸から壇状に延びた土塁石垣は、大手通路まで せまり、その裏側に北側へ折れ曲がった通路を形作っている (北通路)。この土塁石垣では、調査の結果、5回にわたる 改修の跡が見つかった為、石垣の一部は6回の構造の変遷を示す 遺構としてそのままの姿で残した。 なぜこれほど頻繁な改修が行われたかについては、解明されてないことも あるが、周りから流れ込む雨水や浸透水、石積みの技術的な問題が 考えられる。改修が行われるたびに、通路幅、石材の大きさ、 土塁石垣の幅を変えるなどの工夫をしていたが、3度目の改修の時には 石垣の足元の石を石垣面より少し前面に出して据える(アゴ止め石) 技法で崩落を防ごうとしていた事が確認された。 同じく、南通路の虎口でも2回の改修が行われ、位置を変えた 水路跡や通路面が発見された。(↓下の写真)
大手虎口南上段曲輪
大手虎口南上段曲輪からは、石敷きされた建物の基礎やカマド、 井戸址が見つかった。 大手虎口を守った兵達の、生活の匂いが感じられる曲輪。 建物は、基礎が石敷きされており、この石敷き基礎には、 幅約25〜30cmの溝が碁盤の目のように見られた。 これは、建物の柱や床板を支える為の「大曳き」や「根太木」 等を置く溝で、建物の基礎が石敷きされているのは、湿気を 防ぐ為だったと考えられる。建物の東脇からはカマドが見つかり、 この事から、建物は火薬などを備蓄した「武器庫」を兼ねた 「兵の詰め所」だったと考えられる。 整備では、石敷きされた基礎の 一部が見学できるように、「遺構展示施設」として建物を造った。 井戸址には、一辺1.5m、深さ約3mで石組みされていた。 石組みの下部には、マツ材でできた井戸枠がそのまま残っている。 また、大手虎口南上段曲輪の石敷き建物址の西脇は、古い時期に 通路であった事も分かった。この古い時期の通路は、スロープ状に 北から南へ上っていた。しかし、最終的には埋め戻され、通路開口部は 石垣によってふさがれていた。
建物基礎の様子(模式図) 大手虎口上段南曲輪の石垣 大手虎口上段南曲輪
大手虎口上段南曲輪のカマド 遺構展示施設 日の池へ
日ノ池
日ノ池は、15m×16.5mのほぼ円形の池。 発掘調査によって、石垣や石敷、2箇所の石組み井戸、石階段等が発見された。 さらに石敷の下からは、日ノ池へ通じる通路跡や改修工事が行われた跡、 また、谷をせき止め、斜面からの流水や湧水を貯める構造になっている事も わかった。これらの調査の結果を元に、往時の姿を可能な限り再現している。 石垣や石敷は出来る限り当時のままで残した。
日ノ池は、山の上では稀な大池であり、金山城における象徴的な 場所の1つ。 ここは、単に生活用水を確保した場所ではなく、 戦勝や雨乞等の祈願を行った儀式の場所であったと考えられる。 また、水の信仰と関わる平安時代の遺物も発見されており、 日ノ池が立地する場所は、築城以前から神聖な場所であったようだ。
日ノ池を南曲輪方面へ見る 南曲輪
南曲輪からの景色
南曲輪 中島知久平先生像
地形模型
旗  (旗を持って、嬉しそう〜↓)
御台所跡 大欅
本丸跡
■本城■ 金山城の中枢で、水ノ手郭を中心として約1万坪ある。 実城とも言い城主の御殿があった所なので、城主を実城殿とも 呼んだ。御殿の礎石は、大欅の南方平地に列石状に 出土した。主要郭は六ヶ所、腰郭は三ヶ所、武者造り、 堀切は壕内道を兼ねている。本城内に於て、実城、 内方、小座、旦那、御入、局等の名称が見られる。
天主曲輪
本城最高位の郭で、戦前、本丸と言われた所である。 西北の角には、金山城最大の石垣が使用されており、 角矢倉形式の大建造物があった。この郭は、金山城鎮護の 神聖な地域であり、源氏の守り神である八幡宮が 祭られていた。このため、水ノ手郭の貯水池は、 「神水」と呼ばれていた。 廃城後は、新田義貞を祀る新田祠と言う小さな石宮があった。 構造上の特徴としては、東北の角を削って「ひづみ」 を作り、「鬼門除」がある。
本丸と二の丸の間 二の丸 本丸
金山城石垣(残存石垣)…2枚目は石垣上方を見る。
金山城は、全域を石垣で築かれた関東地方では珍しい城。 石垣用材は、金山石が手近にあるので使用したものであるが、 大きな石は、柱状節理の山麓の根石を山頂、山腹まで持ち上げた 大工事である。積み方は「野面積」で長い石の大きい面を奥に、 小さい面を表にしてある為、別名、「ゴボウ積」とも言われる。 断面は、直線的で、緩傾斜し、栗石を充分使用している為に堅固である。
本丸を見上げる 大手虎口附近の石垣(門跡?)
本城大手口
大手道を登りつめ、本城に達した谷間に、地形を利用して桝形が造られている。 北・西・東を高い石垣で囲まれ、内に番所を構え大手道は 鍵ノ手に曲がって城内に入る。桝形に進入した敵は 三方より攻撃される。
「登り口」と書かれているけど、登るには厳しい気が(^^;) 左下写真参照。

■金山城
どんな山を登るだろうのだろう?と不安に思いつつ行ったけど、車で殆ど行けたのでラクだった。 かなり復元されていて、見所が分かりやすく、見ごたえタップリ。ちなみに、本丸の下の方には 残存石垣があるんだけど、なぜか不思議とここの蚊には虫除けスプレーが効かず、ヤブ化中の 見学はとても大変だった…。でも、とても立派な馬場下通路や大手虎口、等など良かったな〜。 そういえば、ここでお祭りをするらしい。案内が張ってあった。住民に愛されてる所なんだね〜。

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