トロとまったり・tripのページ(名護屋城 No.11-2・本丸-2)

本丸

【左】本丸御殿跡の発掘調査・遺構整備の案内板より。(2013/6/19撮影)

■本丸…肥前名護屋城図屏風は、秀吉が在陣した文禄2年(1593)夏頃の情景を当時描いたものと推定されている。 名護屋城の本丸御殿については、江戸時代の城郭建築にみられるような指図等は全く残っておらず、 名護屋城図屏風だけが往時の御殿の様子を伝えている。この中では、本丸は大手門、北門等の門、 5ヶ所の櫓のほか、内部には本丸御殿に関連する建物が13棟程度、密集して描かれている。 絵の表現では、大半の屋根が檜皮(ひわだ)葺きと推定され、書院造風の格式の高い建物となっている。 また、右隅奥付近には数本の松が植えられ、庭園風の空間と茅葺き数奇屋風の小さな建物もみられる。(案内板より・絵図も)

【左】水手口の案内板より。(2017/8/17撮影)
【右】本丸御殿跡の発掘調査・遺構整備の案内板より。(2013/6/19撮影)

本丸

【切り取り加工】写真左側が東郷平八郎書の名護屋城址碑、写真右前方が天守台、その右が青木月斗の句碑。(2013/6/19撮影)

【切り取り加工】写真左前方が天守台、写真中央付近の大きな碑が東郷平八郎書の名護屋城址碑、その右下が青木月斗の句碑。(2013/6/19撮影)

【左&右】重なる所はあるけれど、2枚でパノラマっぽい感じで。
【左】写真中央が青木月斗の句碑。(2013/6/19撮影)
【右】左の写真の右側。東郷平八郎書の名護屋城址碑方面。(2013/6/19撮影)

【左】東郷平八郎書の名護屋城址碑。凄く大きい!!(2013/6/19撮影)
【真ん中】青木月斗の歌碑。「太閤が 睨みし海の 霞かな」 案内板によると、昭和8年(1933)に、関西俳壇の重鎮である青木月斗が名護屋城を訪れた際に詠んだもの。(2013/6/19撮影)
【右】発掘中♪(2013/6/19撮影)

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