トロとまったり・tripのページ(名護屋城 No.16-1・遊撃丸-1)

遊撃丸

【左】水手口付近の駐車場に設置されていた案内板の「肥前名護屋城図屏風」より。(2017/8/17撮影)
【右】水手口の案内板より。(2017/8/17撮影)

【切り取り加工】水手口側からの遠景。写真右上が遊撃丸。(2018/1/5撮影)

【切り取り加工】上記と同じ。遊撃丸の石垣が見える♪(2018/1/5撮影)

遊撃丸

■遊撃丸…文禄2年(1593)に明国の講和使節(遊撃将軍)が滞在し、もてなしを受けた曲輪といわれている。 平成元年度と2年度(1989〜1990)の石垣修理に伴う発掘調査で、門礎石・石段・玉砂利敷が新たに発見された。 特に船手門や天守台北側からは金箔瓦が出土している。 遊撃丸や天守台の石垣は、自然石を半分に割り、割った面を表面に見せる打ち込みはぎの石積みが顕著である。 石垣崩壊防止の為、危険箇所では解体修理や新しい石の補充や植栽を行い、 当時の石垣の様子が推定されるような整備をしている。(案内板より)

【左】遊撃丸の案内板より。(2013/6/19撮影)
【右】二の丸の合坂の案内板より。(2013/6/19撮影)

【パノラマっぽく加工】本丸から見下ろして。 写真中央から左が二の丸、右が遊撃丸。(2013/6/19撮影)

遊撃丸 ・ 西〜南東付近

【左】船手口から遊撃丸の西方面。写真手前が二の丸。写した後で気が付いたけど、遊撃丸の下の木々に隠れてお墓があった(^^;)(2013/6/19撮影)
【右】南西付近。(2013/6/19撮影)

【パノラマっぽく加工】二の丸側から船手門跡、遊撃丸の南西付近の石垣(写真中央から右側)。(2013/6/19撮影)

【切り取り加工】二の丸側から。写真左側(中央寄り)が、遊撃丸と二の丸の間の船手門跡。船手門跡から右側が遊撃丸の石垣。(2013/6/19撮影)

【左】船手門側から反時計回りで虎口方面。凄く高さがある石垣♪(2013/6/19撮影)
【右】左の写真の奥の遊撃丸の虎口側から。V字の破却がされ、整然とした石垣がいい感じ。(2013/6/19撮影)

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