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(おおまかに:1.東曲輪付近、 2.二の丸・持仏堂曲輪、 3.本丸付近、 4.風呂谷曲輪・他)
風呂谷門跡 | ||
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(左)本丸南東にある門跡。右折れで石段へ。 (真ん中)石段を下りて、風呂谷曲輪へ。 (右)振り返って。 | ||
風呂谷曲輪 | ||
(左)石段から見下ろして。細長い曲輪。 (真ん中)風呂谷曲輪から龍城堀に架かる神橋。 (右)風呂谷曲輪の石垣。 | ||
左から本丸・南西から南側の石垣で、細長い風呂谷曲輪が続く。 (右)真ん中の写真の逆側。角度が素敵! | ||
坂谷曲輪 | 坂谷門跡 | |
(左)本丸西側の細長い曲輪。坂谷邸跡の標柱が立つ。 (真ん中)内側から。正面が伊賀川。 (右)伊賀川側から。 | ||
伊賀川 | 坂谷橋 | 産湯の井戸 |
■産湯の井戸…
天文11年(1542)12月26日、徳川家康が
岡崎城内で誕生、この井戸の水を汲み、産湯に
使用した。(案内板より)
坂谷曲輪には、東照公えな塚もある。それにしても、こんなに川が近いと、 雨が多い時は越えそうだなぁ…。 |
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隠居曲輪 | ||
(左)神橋から。正面が隠居曲輪 の石垣で、郷土料理の御食事処 「いちかわ」がある。 (右)隠居曲輪側から龍城堀を。 肝心の曲輪の写真が無いな(笑) |
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竹千代通り | 舟着場 | |
昔は帆掛け舟が荷物を沢山積み、 菅生川(乙川)を上り下りした。 ここが積荷を揚げ下ろしした昔の 舟着場である。岡崎には「五万石」 という古謡がある。「五万石でも 岡崎さまは、お城下まで舟が着く」。 この帆掛け舟を形どった碑は、当 地方特産の花崗岩でできており、 その古謡に因み「五万石舟」という。 |
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大樹寺 | ||
(左)徳川家菩提所の大樹寺。 本堂、山門、総門(大樹寺小学校) を通して、天守を眺める眺望ライン (ビスタライン)を実感するために、 大樹寺へ。この直線上に、高層の 建物は建てられないらしい。今の 時代に、珍しい!素敵だなぁ〜。 (右)鐘楼。3代家光公建立だそう。 |
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眺望ライン(ビスタライン) | ||
ビスタラインの「ビスタ」は「眺望・展望」を意味し、
大樹寺と岡崎城を結ぶ、標高差を利用した約3kmの直線を
「眺望ライン(ビスタライン)」と呼んでいる。
これは徳川三代将軍家光公が、家康公の十七回忌を機に、
「祖父生誕の地を望めるように」との想いを守る為、
徳川家の祖先、松平家の菩提寺である大樹寺の本堂から
山門、総門(現在は大樹寺小学校南門)を通して、
その真中に岡崎城を望むように伽藍を整備したことに由来
している。時は移り、岡崎城も再建されたが、大樹寺と
岡崎城を結ぶ歴史的眺望は往時のままで、門越しに望む
岡崎城は、まるで額の中の絵のようである。
(岡崎市の案内より)
(下真ん中)山門から総門(大樹寺小学校南門)、その奥に見える天守を。 (右下)真ん中に見えるのが、天守(^^) |
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■岡崎城…2011.7.29記
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(おおまかに:1.東曲輪付近、 2.二の丸・持仏堂曲輪、 3.本丸付近、 4.風呂谷曲輪・他)
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