(左)大手櫓門跡付近から八幡曲輪の高石垣!
(真ん中)大手櫓門跡から奥を。(右)大手櫓門跡を振り返って。
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竜神の井 |
五郎作屋敷跡 |
五郎作屋敷跡を過ぎて… |
■竜神の井…
この井戸は、岩村城のうち最大規模で、昭和60年に
創築800年を記念して復元した。
昭和62年に、岐阜県の名水50選に認定されたが、
今も絶えることなく、味は天然のうまさがある。
(岩村町の案内板より)
この辺りにいると、なぜか頭痛に悩まされ…。
場所を移動すると、治るという…(^^;)
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霧ヶ井 |
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霧ヶ井は、鎌倉時代から清らかな水を湛えている。
この井戸は、城主専用のもので、お堂の中にあった。
岩村城の別名を霧ヶ城というが、それは非常に霧が発生しやすい
地勢にあることから名づけられた。伝説によると、敵が攻めてきた時、
城内に秘蔵した蛇骨(だこつ)を霧ヶ井に投入すると、忽ちにして雲霧が湧き出して
全山をおおい、敵兵は地形が見えなくなって攻め倦み、そこへ
城兵が突入して勝利を得た。これは山霊の加護によるもので、
依って霧ヶ城と呼ばれ、天下の名城と伝えられている。
霧ヶ井はどんなに日照りが続いても、決して水の涸れない
不思議な井戸で、江戸時代に100日余り続いた日照りにも、
水は豊富であったと伝えられている。(案内板より)
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八幡曲輪跡&石垣(パノラマっぽく加工) |
■八幡神社…八幡神社は岩村城創築と同時に譽田別命(ほんだわけのみこと)を
祭神として、城内鎮守の神社とした。岩村城創築の祖、加藤景廉が
承久3年(1221)に没したので、すぐ配神として祀り、座像を納めた。
城主はかわっても、歴代城主及び家中の崇敬は篤く、社殿の
修理などを記録した棟札は永正5年(1508)のものから現存し、
岐阜県重要文化財に指定されている。
武並神社に祀ってある景廉の長男、遠山景朝が御輿に乗って、
八幡神社の父、景廉に会いに行くという岩村町秋祭り行事は、
岐阜県重要無形民族文化財に指定されている。
(案内板より)
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八幡櫓跡 |
下から八幡櫓跡 |
八幡宮跡 |
■八幡櫓跡…三間と四間の二階建の建物があった。(案内板より)
結構、高さのある八幡曲輪跡。この下にも段差の土塁があった。
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