東曲輪跡 | 東曲輪跡の北東の二重櫓跡 | 二重櫓跡から振り返って |
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東曲輪跡は本丸防備の為に 重要な場所であった。(案内板より) | 水晶山方面の監視の役を持つ建物。 (案内板より) | 東曲輪跡は、段差があった。 |
本丸東口門跡 | ||
(左から)東曲輪から見たもの。なだらかな坂を歩いて、本丸東口門跡へ。 足元には礎石が♪ | ||
本丸東口門跡(内側から) | 長局埋門跡 | |
■長局埋門跡…防御を主目的とした狭い門である。 (案内板より) 片方の石垣が、土塁で隠れてて、 離れて見るとポツンって感じ。 真ん中の写真奥に、 立っている案内板が、長局埋門跡。見えるかな…。 | ||
平重門跡 | ||
■平重門跡…本丸・二の門、東からの入口である。(案内板より)
門跡の近くに、もう1つ説明板があって、
■織田信長宿泊地…本能寺の変、80日前に信長が泊まる。(案内板より) …だそう。 |
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本丸 | ||
■本丸…
本丸は海抜717mあり、日本の山城中で最も高地にある。
その歴史と広大さと要害堅固さから日本三大山城の1つとされている。
東曲輪からも二の丸からの入口も埋門を通じてやっと進入できる。
本丸には二重櫓と納戸櫓があり、二重櫓は城主の最後拠点となる
重要な建物であった。多門は3つあり、東西の石垣に添ってあった。
山城のため、天守閣はなかったが、城内の要所、要所に11の櫓
(2階建または3階建)または櫓門があって、常時各方面を
監視しており、しかも全部が本丸に統一掌握されるようになっていた。
本丸の柵門の側に、岩村城創築者・加藤景廉公が植えた松があったが、
安政年間(1854年頃)に、大風のため折れて消滅した。
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本丸から出丸 | 本丸の二重櫓跡かな? | 昇龍の井戸 |
出丸の建物も小さく見える(^^) 出丸は車でも行くことが出来るけど、麓からのコースの方が、キツイけどオススメ。 | ||
本丸埋門跡 | ||
本丸へ入る搦手門は埋門となっている。 石垣の中に、一階部分は埋まり、門の上に、これに跨って長い多門があって、 監視と防備の役目を果たした。また、敵が攻めてきた時、土や石で門を 埋めてしまうことも出来るので、他の門に比べて埋門は堅固であった。 埋門の石垣は、野面積み(自然石を積む)、打込ハギ(自然石を石垣の 外側のみ平らにする)、切込ハギ(切石を使う)3種を1度に見る事が 出来る。これは岩村城の変革を示す貴重な遺構で、野面積みが一番古く、 切込ハギは享保3年(1718)にあった大地震の後、修復したものである。 埋門左側の長い石垣は、土岐坂の石垣につぐ古いもので、一見粗雑 であるが、意外と頑丈である。(案内板より) | ||
(左から)説明板の所から上がって行くと、 正面に見えた石垣が切れて狭い入口があり、 見下ろすと礎石もあった♪ | ||
(左)東側から。
右側の小さい石垣が、上で紹介した左側の石垣部分。
左から光が差し込んでいる所が、入口。 (真ん中)東側にも入口があって、そこにも礎石が(^^) 本当は、横からド〜ンと写したかったけど、木が邪魔で…。 |
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(左)本丸埋門から本丸へ。 (真ん中&右)本丸から見ると、迷路みたい。埋門を西へ下ると、 赤時門跡へ続く。 | ||
■岩村城
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