俄(にわか)道口 | 俄坂櫓門跡 | 二の丸菱櫓跡 |
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■菱櫓跡と俄坂…
山の地形に合わせて石垣を積んだので、菱形になった。
山城特有のものである。この上にあった建物も菱形であったので、
菱櫓と呼ばれた。菱櫓は、全国城郭にもその例はあまりなく、
中世期の山城を近世城郭に改築した城郭の貴重な歴史的遺構である。
菱櫓の前に、俄坂門(櫓門)があり、番所、多門があって、大円寺、
水晶山方面を遠望監視した。中世の頃は、ここが大手門(正門)で
大円寺城下町説もあり、大円寺へ通ずる険しい急坂も残っている。
実際は、裏手の門で、普段は使わないが、落城等の非常口として
用いられた。俄坂もその意味がある。俄坂の途中に、中世城の
遺構である東曲輪があるが、天然の峻険を利用し敵の来襲に備えていた。
(案内板より)
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六段壁方面に行くと… | 二の丸櫓門跡 | 二の丸番所跡 |
菱櫓跡と六段壁の間に櫓門跡。 |
二の丸正門。右手で軍馬を飼育。 (案内板より) |
城中に番所は多いがここが本部。 (案内板より) |
二の丸跡 | 赤時門跡(不明門跡) | |
米蔵・武器蔵・番所と建物が多い。 (案内板より) |
不開門ともいい常は殆ど開けない。
(案内板より)
ここから本丸横を通り、南の出丸へ。 |
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本丸の高石垣(赤時門跡から&赤時門跡方面) | |
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凄い!凄い!迫力!格好いい〜(≧□≦)この先も 石垣と土塁が続いているんだけど、この2枚のアングルが好き♪ | |
出丸(写真=氷餅蔵) | ||
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出丸は、本丸の南部の防衛の役目を持ち、東曲輪、帯曲輪と共に本丸を 防衛した。櫓が2つ、多門が3つあり、門は1つのみで、帯曲輪からしか 入れなかった。櫓は二重櫓と太鼓櫓があって城下町がよく見える位置にある。 太鼓櫓には、大太鼓があって、非常の際は城下に知らせた。 この太鼓が打たれると武士達は、直ちに完全武装して登城し、 定められた部署について戦争等の準備をした。城下町の町民は火を全て消し、 木戸を閉めて城からの指令を待った。 多門は3つあり、1つは武者隠し多門といって、戦争の時に城兵を 待機させた建物である。1つは大工小屋といって、城の営繕関係の 中間が仕事をしていた。(案内板より) (氷餅蔵=籠城に備えて、氷餅を貯蔵していた。) | ||
出丸太鼓櫓跡 | 城下町眺望 | 出丸平重門跡 |
非常の時太鼓で城中に知らせる。 (案内板より) |
んん〜。木々しか見えないぞ(^^;) | 出丸の正門で、厳重な防備が あった。 (案内板より) |
帯曲輪 | ||
東曲輪下から本丸下まわりの帯曲輪。この時は、
出丸から六段壁方向で見学したけど、
紹介する順番は逆で(^^;) (左)東曲輪下から六段壁。(真ん中)東曲輪の石垣と帯曲輪。 (右)本丸と東曲輪下の土塁と帯曲輪。 |
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(左&真ん中)出丸側から本丸土塁。重なってるけど、パノラマっぽく。 (右)真ん中の写真の石垣の右端。 | ||
中世城郭遺構(南曲輪) | ||
岩村城は、中世に峻険な地形を巧みに利用して創築された山城である。 近世になってから近世城郭へと改築された。 現在見る事が出来る石畳を持つ城郭となったが、中世城のうちかなり多くの 部分が切り捨てられ、山の中に遺構が残っている。 南曲輪は、その中世城郭の遺構の1つで、図示の如く堀切、 土塁、腰曲輪、土橋が典型的に残っている。近世においては最先端部に 見張り小屋を設けた。(案内板より) 帯曲輪を歩いているとある南曲輪跡。 さすがに、中にはちょっと…(^^;) |
東曲輪下から本丸石垣(六段壁) | 二の丸菱櫓から本丸石垣(六段壁) |
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東曲輪下から見る六段壁の、美しくて格好いいこと! | 二の丸菱櫓から見えてた六段壁!一緒もいい! |
東曲輪虎口 | 本丸石垣(六段壁) | 二の丸菱櫓方面 |
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(左から)東曲輪への虎口を通り、 本丸石垣の六段壁を見上げつつ歩く♪ 同じ目線になると、違って見えて素敵! | ||
正面から見たものと違って、ゴツゴツした感じ。 | 東曲輪から本丸石垣を。長い石垣も素敵〜(^^) |
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